「今日はきっと遅くなる」
 出掛けに太一は言っていた。今日は他の組で世襲披露パーティーがあり、太一も鉄勇会の次期跡目として祖父と共に参列するのだと言う。伝えに来た太一はその時既に全ての身支度を整えていた。きっちりと寸分の隙もなく太一の肩に沿った黒いスーツ。光沢のある白い糸で上品な刺繍を施された白ネクタイ。細身の太一に合わせしっかりオーダーされたスーツは全体的にシャープに作られおり、計算され尽くしたラインが太一の体を引き立てる。その姿を見た克哉は純粋に、太一に見惚れていた。
 -----こんな礼服は、普通太一くらいの若者が身に着けても、服に着られたようにしかならないだろう・・・・なのに太一はすっかり着こなしてて・・・きっと太一が生まれついて、人の上に立つ器だからなのかな・・・・・
 視線を奪われながらそんな事を考える。
「じゃ行くから」
 用件だけを伝えると太一は踵を返そうとした。
「あ、うん・・・いってらっしゃい・・・・頑張ってね」
 慌てて克哉は声を掛ける。
「何を頑張るっての」
 フッと薄く笑いながら太一は横顔を見せると、そのまま克哉に背を向けた。




□□□



 とっぷりと日は暮れている。克哉は一人、この離れの部屋で夕飯を済ませた。
 今頃太一は華やかな場所でグラスなんか持ってるのだろうか。縁側から葉の揺れる音がする中庭を眺めながらぼんやり考える。克哉もキクチにいた頃に何度かレセプションパーティーに参加した事があった。ホテルでの立食形式のパーティで、克哉はいつでも所在なさげに視線を彷徨わせていた。こんな時が、新たな人脈を生む大事な機会だと言うのは頭では嫌というほど分かっていたが、克哉にはどうしても行動に移すことが出来なかった。ただ目の前で繰り広げられる、微妙な人の力関係を推し量る様を観察しながらその場を凌いだ。
「あんな時まで壁の花になってたってどうしようもないのに」
 一人口に出してみる。記憶の中のそこは相変わらず煌びやかで眩しく、自分にはそぐわない場所だった。
 ここがオレのいる場所だ。太一が連れてきたこの空間こそがオレに相応しい。自虐でも卑下でもなくそう思った。
「太一、まだ帰らないかな」
 時計がないこの部屋で今が何時なのか正確な時間は分からない。
 太一は今夜はここにはこないかもしれない。今夜のパーティーは太一が五十嵐家の跡目として公の場に出る初めての場だ。きっと大勢の人と顔を合わせなくてはならない。太一だってやはり疲れるだろう。
 そう考え、克哉は風呂に行く事にした。
 もともとこの離れ家は五十嵐家の客人を泊めるために造られたものだったから、小振りながら母屋と変わらない質の風呂がある。上質の檜で造られた湯船と黒い石張りの床。克哉はこの風呂を気に入っていた。檜の湯船は湯を滑らかな液体に変え、何より浴室全体が心地いい木の香りに包まれている。かつての克哉はシャワーで済ませてしまうことが多かったのだが、それはアパートの狭いユニットバスに湯を張ったところで、克哉の体は返って窮屈に身を縮めなければならず、湯船に浸かることが決してリラックスに繋がるものではなかったからだ。しかしここは違う。決して広すぎもせず、克哉が湯船の淵に頭を乗せ寝転んだように足を伸ばすと丁度つま先が向こうの淵に当たる。はじめてこの風呂に足を踏み入れ肩まで風呂に浸かった瞬間、克哉は「気持ちいい・・・・」と呟いていた。
 風呂上りに着る寝巻き代わりの浴衣を箪笥から取り出すと、飴色の廊下の先にある風呂場へ向かう。
 脱衣所で身に着けていた帯を解くと、ストンと着物の丈が伸び床に着く。慣れた手付きで克哉は着物を脱いだ。
 風呂場に入ると克哉は手桶で湯船から湯を掬い、やはり檜で出来た椅子に腰掛け肩から流す。薄暗い灯りが燈る風呂場に、湯が跳ねる音が反響する。
 一通り体と髪を洗い全ての泡を流した克哉は、ゆっくりと湯船に足を沈ませ全身を浸らせた。しばらくゆらゆらと揺れる透明な湯が落ち着くと、白い素肌が浮かび上がる。そのあちこちに太一が付けた薄紅色の斑点があった。
 その一点一点を見詰めながら、克哉はこの体を愛しいと思った。太一がこの体を愛しいと言うから自分もこの体が愛しい。太一がこの体を必要だと言うから、自分もこの体が必要だと思う。
 外でジャリ、と音がした。風呂の外の砂利を敷き詰めた裏庭を躊躇いなく歩く足音。
「太一?」
 克哉は伸ばしていた足を折り身を屈めながら気配に耳を澄ます。屋内に入ったであろう足音は一度消え、程なくして脱衣所のドアの軋む音がする。風呂場のすりガラスに黒い影が映ったかと思うと、ガラ、と勢いよく音を立て引き戸が開いた。そこに居たのは間違えなく太一だったが、その姿を見た克哉は動きを止めた。
 出掛けに着ていた黒い礼服はそのまま身に着けている。だがしっかりと掛けられていたボタンは外れダラリと縒れ、光沢のあった白ネクタイは擦ったような赤黒い血痕の跡が付いていた。
「太一?」
 心配そうに訊ねる。見詰める太一の顔も、口の端が破れたように切れ血が流れている。そして血の気が引いたような蒼白な顔色をしているにも関わらず薄ら笑いを浮かべ、目は異常に興奮したようにギラギラ光っていた。
 やっちゃったんだな・・・・
 克哉は思った。こんな顔をした太一を見るのは初めてではない。時折太一は派手に喧嘩をした。まるでどこぞのチンピラかのように些細な事にキレては、相手の地位や自分の立場などお構いなしに手出しした。
 体の線の細い太一は、一見体を張った喧嘩に弱そうに見える。その為、相手も一瞬隙を見せる。しかし太一は喧嘩のコツを会得していた。幼少の頃、祖父に叩き込まれた空手の技術。相手の体が動き始めると瞬時にどこに拳が向かってくるか察しそれを防御すると共に、がら空きになった相手の隙間に一撃を加える。意識せずも体が動く。それに加え、最小限の力で相手にダメージを与える関節技。あるべき方向ではない方向に曲げ骨の1本や2本へし折ることは容易い。
 それでも相手とて素人ではないから太一も大小の傷は負うのだが。しかし太一は組の内外から「油断のならない危険人物」と認知されていた。
 そんな喧嘩の後、決まって太一は克哉を抱く。普段太一が克哉を抱く時、太一の言葉が途絶える事はない。しかし喧嘩の後の太一は無言のまま体をぶつけた。体の中で滾っている血が収まらないかのように、荒々しく克哉の体を押さえ付け、開き、推し入れる。まるで克哉など見ていないかのような目をして。
「克哉さん。立って」
 太一の低い声が浴室に響く。
「え・・・あ、うん」
 恐る恐る克哉は太一の声に従う。体から滴った湯がぽちゃんと落ちる。克哉が腰を上げ立ち上がるか否やといううち、太一の手は克哉の肩を押した。向かいの壁に背中が当たると同時に太一に口を塞がれた。噛み付くように太一は克哉の口に吸い付く。そこからは強い洋酒の匂いと血の味がした。
 その味さえ愛しいと思いながらも、克哉の頭の片隅では何か、違和感を感じていた。今夜位、太一は多少の事を我慢するのでは、と思っていたからだ。仮にも他所の組のパーティーで暴れるような真似はしないのではないか、と。
 ちゅ、ときつく舌を吸ってから太一は唇を離す。
「暴れたんだ」
「まーねー」
「何を言われた?」
「克哉さんさー、結構有名人なんだよねー。ま、こんな田舎だし克哉さん美人だから無理もないけど」
 まただ。
 覚悟は出来ていた。いつだって太一が暴れる理由はそれだった。
 太一の母は地方の組では珍しく全国展開で事業を展開するなど、ただでさえ周りの組から特異の目で見られていた。その長男は東京の有名大学に進学し、突然帰郷したかと思えば男妾を連れていた。そんな美味しいネタに食いつかない者がいる訳ない。 
『一度男の味を占めると、それなしじゃいられなくなるって言うもんなぁ』
『男のならどれでもいいってか?』
 酒が回るにつれ太一に絡む声が大きくなる。
『実際どうなの?男を抱くって。やっぱ女と違う訳?』
『オレ、ぜってー無理だし』
『でもそいつ、すげー色っぽいんだって。しかもよ、めちゃくちゃ淫乱なんだって』
『まじかよ!だったらーオレ1回くらいお願いしてみたいかも』
『実はオレもちょっと興味あったりしてさ・・・・いっそのことみんなで輪してみね?なー次期組長さん、ちょっとオレ達にそいつ、貸してくんない?』
 太一の拳がその男達のみぞおちや顔面を直撃したのは、その言葉の直後だった。
 
------もしも昔の太一だったら、唇を噛み締めて色んな事を我慢しただろう。ささやかな幸せを守るために我慢することも厭わなかっただろう。でももう太一は、一切我慢するのをやめてしまったんだ
「でもさー、そんな克哉さんもいいかもね」
「え・・・」
 再び克哉の目を覗き込みながら言った太一の言葉の意味が分からない。
「いっぱいの男の人に犯されてさ、ぐちゃぐちゃになっちゃうの。前も後ろも上も下もぜーんぶ。克哉さん、気持ちよくって気が変になっちゃうんじゃない?」
 まさか。疑惑が頭を過ぎる。
「嫌だ・・・・太一・・・・オレは太一じゃなきゃ・・・・・」
「そーんな事言ってさ、実際そうなったら克哉さん、絶対イきまくっちゃうよ。オレ、ちょっと見てみたいかも。まわされる克哉さん」
「太一っ!」
「想像してみなよ。この口にぶっといの突っ込まれてさ、無理やり喉の奥まで突かれて」
 言いながら太一は3本の指を纏めて克哉の口に突き立てる。
「ふっ・・ぐ・・」
 呼吸を奪われ、くぐまったおかしな声が漏れる。
「後ろからも無理やり突っ込まれてさー」
 腕が腰に回されたかと思うと爪が食い込むほどに尻を握り、そのうちの1本の指を弄らせながら小さな孔を探り当てるとぐっと押し込む。
「んふ・・ぐっ・・・」
「で、ここも両方違う舌で舐められるの」
 息苦しさで目に涙を浮かべた克哉を一瞥すると、太一は小さく屈み克哉の右の乳首を舌先で転がした。小さくも充分性感帯として開発されたそこは太一の舌の動きにすぐにピンと硬くなり、舌が往復する度ビクリと体を震わせた。みるみる克哉の性器は起立する。そうしている間も絶えず両方の指が克哉の二つの孔を犯していた。
「誰も克哉さんの事なんか大事じゃないから、やさしくなんかしないよ。無茶苦茶乱暴に犯して・・・・でも、克哉さんはそういうほうがイイんだよね?」
 チロリと上目遣いで克哉の顎を見上げながら、太一は口に押し込んだ指を勢いよく奥まで進ませる。
「んがっ・・・」
 喉を突く指で吐き気が込み上げる。
「何人くらいがいい?口と後ろと乳首と前で、最低4人は必要だねー」
 厭々をするように克哉は首を振ろうとしたが、太一の指で自由の効かない頭はそれも許されない。後ろから押し込まれた指はいつの間に2本に増え抜き差しを繰り返した。濡れた髪はいつの間に冷え、冷たい雫を落とす。
「ほら、やっぱり。克哉さんの、こんな風にされても固くなるし」
 克哉の目から涙が零れ落ちる。失神する寸前のような苦しさ、後ろを犯される痛み。そしてそれを快楽として受け入れてしまう自分。
 でも分かっていた。こんな扱いをされてそれを受け入れるのは太一だからだ。太一がオレを犯しているからだ。
「ほら・・・後ろの人もう、イきたいってさ」
 激しく太一の指が中を掻く。思わず口にある指を思い切り噛んだ。
「克哉さん、ダメでしょ?噛み切っちゃう気?」
 太一は笑い声を上げる。
「でも、それ、魔性の人らしくていいよ」
 歯に太一の骨が当たる感触が伝わる。濃い血の味が口に広がる。太一の血がオレの中に入る。
 そう思った時克哉は目が眩むような快楽に襲われた。
「うっ・・・」
 太一は痛みで眉を顰める。もう一度強く指を噛み締めた克哉は、同時に精を吐き出していた。太一の黒いスーツの上にべったりと白い精液が付着する。
 ゆっくりと克哉の口の中から指を引き抜くと血の混じった唾液が糸を引いていた。
「ほんとに噛み切ってやんの。しかも噛み切ってイクなんてさ、克哉さんって怖いね」
 ようやく深く息をつくことを許され、克哉は気だるげに胸を上下させる。口元からは赤い唾液が零れた。
「でもさ。克哉さん、やっぱり回されてイッちゃったじゃない。・・・・・最っ低」
 最後の一言、憎憎しげに吐き捨てると太一は背を向け浴室のドアを開ける。
 違う。
 朦朧とした意識の中、太一の後姿を目で追いながら克哉は思う。
 太一には出来ない。他の誰かにオレを犯させる事なんて、本当は太一にはできないだろ?
 本当にオレが他の誰かに犯されたら、太一はきっとその人間を生かしてはおけない。


■■■



 克哉が離れ家の部屋に戻ると太一はいた。
 縁側の近く、手足を投げ出し座り克哉がいつもそうするように暗い中庭を眺めている。
 克哉はその姿を見るとほっとした。本当は太一も分かっているのだ。激情を克哉にぶつけてみたところで、克哉は真綿のようにそれを受け入れる。
「それ、今日貰った引き出物・・・とは言わないか」
 だから風呂でのことは何もなかったかのように太一は言った。ただ克哉は、自分が噛んでしまった太一の指が気掛かりで太一の横に座り手をとる。指にははっきりと歯型が残っており、生々しく赤い肉芽が見えていた。
 克哉の行為には気に留めないように太一が視線で指したのは、黒い一升瓶だった。
「土佐の酒はうまいらしいよ」
「そうなんだ」
「オレは日本酒はそんな好きじゃないから違いなんかよく分かんないだけどさ。克哉さんには、いっぱい呑ませてあげる」
 そう言うとゆっくり克哉の手を除け瓶を手にする。封を口で開け、そのまま直接液体を含むと克哉の唇に唇を押し付けた。克哉は咄嗟にその液体が零れぬよう隙間を開ける。そこから流し込まれる芳醇な液体。丁寧にゆっくりと液体は体内に注ぎ込まれる。克哉自身も太一から受け取る液体の全てを零さぬよう、慎重に唇を重ね喉を鳴らした。
 それでも時折、受け取りきれなかった液体が口端から流れる。痺れを伴う液体は顔に沿って顎を伝い、鎖骨に落ちる。
 ゆっくりとアルコールに侵食されていった身体は、そんな液体の動きさえ太一の意思が乗り移ったもののように思え、小さく身悶えた。
「克哉さんの肌、色がついてて、すっげーきれい」
 ようやく唇を剥がすと、太一は目を細め克哉を見詰めながら言った。
 なんてイヤラシイ目なんだろう。
 たかだか21歳の男に、なんでこんな目が出来るんだろう。ぼんやりと思った。
 何度も何度も太一が繰り返し酒を注ぎ込むと、次第に視界もうまく定まらなくなる。風呂で、全身の力が抜けた後だから酔いが回るのが早いのだろう。風呂から上がってから身に着けた浴衣も襟元が乱れてしまった。
 執拗に太一は克哉の口へ酒を運ぶ。口の中の液体がすっかりなくなってもそれでも唇を離さず搾り出すように唾液を流し込む。飲み込まされるものがもう変わったのが分かっても、克哉はそのままそれを飲み込んだ。
 ふと克哉は閉じていた目を開ける。目に入った瓶の中の液体はもう半分程になっていた。
 クラっと視界が揺れたような気がして克哉は頭を畳に倒す。仰向けに寝そべると、黒い空とくっきり堺をつけ白い輪郭で縁取られた丸い月が見えた。
 酔いが回り朦朧とした意識の中でも「良い月だ」と思った。
 太一は横になった克哉の胸元に口を寄せながら浴衣を肌蹴させようとしていたが、克哉の動きが止まったことに気付いた。
「何、見てんの?」
 顔を上げると目を開けたまま微笑んでいる克哉がいた。そんな克哉に少し苛立った太一は克哉の顔の両脇に手を付き視線を遮る。
「月・・・」
「月?」
 訝しげに克哉の視線を追い、振り返り空を見上げると、確かに白い満月が見ていた。
 太一の顔が逸れたことで再び克哉の目に月が入る。
 あ・・・・・月・・・・二つある・・・・・・・
 克哉にははっきりと二つの月が見えた。
 綺麗・・・・・だな・・・・・・・・・
「月・・・・・今夜は二つ出る・・・・特別な夜なんだ」
 太一が克哉の瞳を覗き込むと、確かに二つの月が映っていた。
 何見てんだよ。
 太一の中に言いようもない怒りが込み上げる。
 こんなになってまだ、そんなものに目を奪われるなよ。
 咄嗟に克哉の腰の辺りに纏わり着いていた帯を引き抜くとそのまま首に一周させた。
 帯の端を持ち左右にゆっくりと力を込めると、克哉の喉仏の感触が張った布を通して手に伝わる。
「太一の顔も・・・・二つあるよ・・・」
 克哉は微笑んでいる。
 その言葉に克哉の瞳を見ると、酷く怯えた顔の自分が二つ、自分を見詰め返していた。

 
 

fin.









ヤマなしオチなし。白と黒にもあまり関わらず(・・・)
2008・11・28