「克哉さん。曲、出来たよ。」
そう言って太一は1本のMDを手渡した。
「わ、太一、ありがとう!」
手渡されたMDから視線を上げ、克哉は太一に笑顔を向けようとしたが、太一はもう後ろ姿を見せていた。
・・・・あ
克哉は黙ったままその背中を見送った。
曲が出来上がれば、誰よりも真っ先に克哉の元へ届ける。それだけはいつも変わらなかった。
だけど時々こんな風に、MDを渡すと克哉と一緒にそれを聴く事もせずその場を立ち去る事がある。
突然前触れもなく、でも確実にそれはやってくる。
そしてその度、克哉は、そんな行動を取る太一の変化に気付けなかった自分を不甲斐ないと思った。
一人、MDを再生させる。
流れてくるギターの音。
「・・・あれ?」
克哉は、すぐに音に違和感を覚えた。
ギターの音に僅かだがノイズのようなものが混じっている。
「これ・・・・・わざと音を劣化させているのか?」
メジャーのコードの中、ふと突然流れを断ち切るように紛れるマイナーのコードが気持ちを不安定にさせる。
そのコードの間を太一が歌うハミングのメロディが彷徨っているようだった。
それを覆うように時折混ざる、砂嵐の音のようなノイズ。
まだ歌詞は入っていないせいか、音そのものの存在が強く感じられた。
「太一・・・・・・」
克哉は曲を聴きながら、小さく名前を呼んだ。
決して克哉と視線を合わそうとせず立ち去った太一の声を思い返す。
克哉はいつも思っていた。『自分は表現者ではない』と。
自分が感じる思いや感情は大事にしたいと思うし、それをきちんと人に伝えなければいけない、とは思うものの、それはあくまで人間関係を築く上で必要な事だからだ。
だけど太一は違う。
太一の感じる感情、想いはそのまま作品になる。それは、自分自身が作品になる、と言っても大袈裟ではない。
だから、太一が完成したばかりの曲をしあわせそうに克哉の元に届ける時、克哉はそれだけで自分も幸せな気持ちになれた。
だけど、時折不意にこんな音を聴く。
酷く不安な気持ちにさせられる音。太一自身が迷っている事を強く伺わせる音。
今回のこの曲は、メロディ自体は不安定ながら、独特の哀愁もあり美しいとも思った。
だけど、それをかき消すようなノイズの存在が克哉は気掛かりだった。
曲は、後奏のギターのストロークを突然打ち切るような形で終わっていた。
プレーヤーを止めると克哉は太一の部屋へ向かう。
「太一。」
太一は窓際のデスクの前にある椅子の上で膝を抱え座っていた。
「曲。聴かせてもらったよ。」
「うん。」
小さく頷くだけで、太一は姿勢を崩さず前を見詰めたままだ。
『ね、ね、克哉さん、どうだった?』と今にも飛び掛らんばかりの太一とは別人のようだと思う。
「太一。何かあったのか?」
「ううん。何もない。」
太一は即答した。
「あの曲さ。やっぱ表に出すのはやめようと思う。克哉さん、消しちゃっていいから。」
やはり前を見詰めたまま、太一は小さく言った。
「どうして?」
太一は少しだけ考え「・・・・・聴く人を幸せに出来ないから。」と答えた。
「そうかもしれないね。」克哉も即答する。
その言葉を聞くと、太一は小さく唇を噛み締めた。
だけどそんな太一の横顔を見詰めたまま少し考え、克哉は言葉を続ける。
「でも、あれも『太一の曲』なんだろ?
太一が感じて、太一が生み出した音なんだったら、それを全部聴きたいって思ってくれるファンの人もいるんじゃないのか?」
その言葉を聞くと太一は、ようやく克哉へ顔を向けた。
「じゃ克哉さんは?克哉さんは、オレのあんな曲、聴きたいと思う?」
真っ直ぐに自分を見る目に、克哉は「嘘をついちゃいけない」と思う。
「・・・・・正直、聴いているのは辛かった。
オレは曲の内容より、この曲を作った太一自身の気持ちの方が気になった。」
それを聞いた太一の目には途端に熱がこもる。
「オレは、それじゃダメだと思う。
オレはちゃんと音楽で勝負したい。オレの存在が音を邪魔しちゃうようなのは、やっぱ曲として不完全だと思う。」
「でも、それじゃ、自分のいいところしか見せていないのと一緒じゃないのか?
誰だって、悩んだり揺れたりすることはあるだろう?太一が、そんな想いをこうやって曲にして、それを聴いた人が共感できて、それに助けられることだってあるかもしれないんだ。太一には辛い事かもしれないけど・・・・・・
でもオレは、せっかく太一が生み出した曲を、そんな簡単に葬る気になれない。」
しばらく二人を沈黙が包む。
太一の言いたい事も納得出来る。アーティストとして、どこまで曲に自分を投影させるかというのは難しい事だと思う。
それでも、この曲を聴いて感じた太一の痛みも、『表現』として形にするべきじゃないのか。
「・・・そっか。分かった。
克哉さんがそう言ってくれるなら残しておいて。」
力ない声だったが、そう言った太一の言葉に少し安堵した。
■■■
陽はだいぶ落ち、窓から見える雲もオレンジ色に染まっている。
克哉は一人、太一に渡されたMDを再生させた。
これで何度目だろう。
こうして聴く音が、太一の心の音。
痛みを感じながら、それを作品として作り出すのを「仕事」としなければならない事。そして、何より、太一が痛みを感じた原因。
改めて、どれも太一にとって酷なことなのだと実感せざる得なかった。
太一はまだ、部屋に篭ったままだ。
あれから克哉は、太一を一人残し部屋を出た。
きっと一人になりたいだろう。そう思ったからだ。
太一は日常的に小さな嘘をついたり、小さな隠し事をする。
克哉が傍にいて一緒に暮らしていても、身体に染み付いた習慣のようにそうした。
そんな太一の行動は克哉が思っていたより多かったけれど、それでもどこかそんな素振りが見え隠れする時もあり、克哉はそんな痕跡を見ては心の中で苦笑するしかなかった。
でも。
本当に、太一が嘘つきだと思うのはこんな時だ。
事が自分にとって辛い時ほど、一人で解決してしまおうとする。それが太一の1番の悪い癖だと思う。
それでも・・・太一はオレにこの曲を聴かせてくれたじゃないか。
躊躇いながらも、聴かせた後にやっぱり後悔しながらも。
それでも、オレにきちんと伝えてくれたんだ。
克哉は意を決したように顔を上げた。
克哉は立ち上がると、プレーヤーを止め再び太一の部屋へ向かった。
ドアを開けると、太一はやはり振り返りもせず窓辺に座っている。
克哉を拒絶することも、歓迎することもない。
バタン、と戸が閉まると、克哉は穏やかに尋ねた。
「太一。本当に何もないのか?」
「ない。」
太一の答えに迷いはなかった。
きっと嘘ではない、と克哉は感じた。でも、何も事態が起きていないというのに、太一の内面ががここまで揺れている方が問題があるとも思った。
「じゃあ悩んでることでもあるのか?」
「そりゃ人間だもん、悩みの一つや二つ誰でもあるっしょ。」
「それを知りたいって言ったら、ダメかな?」
「そんな、大したもんじゃないから。」
「でも、太一はすごく辛そうだ。・・・・それに、本当は分かって欲しいって思ってる。」
それを聞くと太一は小さく「チッ」と舌打ちした。
太一の舌打ちを聞くのは久しぶりだった。
「ほーんと、どーでもいい事なんだよ?」
そう言うと、ほんの少しバツが悪そうな表情で克哉を見る。
「なんかさー、オレが今まで『絶対に必要』、『絶対大事!』って思ってたことって、ほんとは全然大事でも必要でもないだな、って気付いたっていうかさー。」
「なんだよ、それ。」
太一の口から一体どんな言葉が出るのか想像できずにいた克哉は、思わず聞き返した。
「オレ、克哉さんに出会う前までだってちゃんと生きてきたよ、一人で。ちゃんと自分で自分を護ってきた。
そのために必要なスキルもたくさん身に付けたし、ちゃんとそれを使って生かしてた。」
「そうか。」
ふと、二人でアメリカに渡ったばかりの事を思い出した。
立ち寄ったカジノで見せた太一の一連の行動。
あまりに鮮やかに、そして自然に人を欺き、騙す太一の横顔。
あれも紛れもなく太一の一面だ。
「でーもさー。こうやって克哉さんと一緒に暮らしてさ、好きなことやれる環境になって、音作ったりしてんじゃん?
そうしたら、今まで使ってきたもの、全然使えないの。あれ、オレ、これまで何してたんだっけ?って感じ。
なんかさー、今までオレがやってきた事なんて無駄なものばっかで、大事なものなんてなに一つもなかったんだなーって突然、分かっちゃったんだよねー。
オレさ、それまで、まじでそれが世界の全てだって信じてたんだよ?
自分が間違ってるなんて思ってなかった。
どうしてもさ、必要だったんだ。」
気楽な話でもするように語っていた太一だったが、最後の一言、ぽつりと言った。
「そっか。よかったじゃないか。」
「え?」
克哉の口から出た言葉に太一は目を見張った。
「もうそんなものは必要ないんだろ?」
「うん、そうなんだけど・・・・分かってるよ?そんなのいらないもんなんだって。
だから怖い。自分を護ってたものがなくなったみたいで。それにちょっと虚しいとも思う。
これまでの自分が無意味だったって、自分で認めなきゃいけない。」
「無意味?
じゃあ、太一は、オレが会社で営業をしてきた事を無意味だって思うのか?」
微笑みながら克哉は尋ねる。
それを聞いて、太一は慌てて打ち消すように言った。
「ううん、それは違う、そんなことは絶対ない。それに克哉さんとオレは違うじゃん、
克哉さんは、いつも悩んで葛藤して自分を責めてた。
だけどオレは、平気で人を傷付けてきたんだ。」
「だから今、こうやって受け止めて辛いんだろ?」
「そんなの、身勝手だよ・・・・」
視線を落としながら力なく言った太一を、克哉は終始穏やかに見詰めていた。
「いいんだよ、太一。身勝手でもなんでも、太一はそののままでいいんだ。
それに、太一にはちゃんとオレがいるだろう?」
「でも・・・オレ、克哉さんにそんな風に言ってもらえる資格なんかない。」
「しおらしいな。」
「たまにはね。」
寂しそうにおどけた笑顔を、夕日がオレンジ色に染める。
「太一が、『これまでの自分が不要に思えて不安』って思うんだったらさ、こうやってそれを音にすればいいじゃないか。
オレはどんな太一だって大丈夫だから、オレに全部聴かせて欲しい。
オレにだけ、でもいいからさ。」
「克哉さんにだけ?」
太一は訝しげに視線を上げた。
「そう。太一は大嘘つきだけど、音では嘘をつけない。そうだろ?
だから、そんな時はこうやって太一の音で、オレだけにこっそり伝えて欲しい。」
「・・・・全く。適わないよな、克哉さんには。」
呆れたように溜息をついたけれど、太一の表情から強張っていた力が抜けていく。
「オレさ。そんな事考えてたら、オレには克哉さんが必要だけど、克哉さんは、オレなんかじゃなくってもっと相応しい人がいるんじゃないか、なんて思ったんだ。」
「オレに相応しい?」
「そう。こんな先行き不安定な年下の男じゃなくって、例えばそうだな、かわいいお嫁さん、とかさ。」
「・・・今の自分じゃとても想像出来ないけど・・・・・・・」
克哉は思わず声をひそめる。
「あれ?じゃ、あのMGNの御堂とか、本多さんの方が想像つく?」
「たーいーちー。」
「冗談だってっ・・・って言ってもさー、冗談なんかじゃなくて本気でそんな事思ったりしちゃったんだよねー。」
「それは重症だな。」
「ひっどいなー克哉さん!オレ、結構こう見えて繊細なんだよ?」
「知ってるよ、その位。」
にっこりと笑いながら、克哉は太一の頭をくしゃっと撫でた。
「でも太一。オレは、そんな風に悩んだり落ち込む太一だって嫌いじゃないから。
太一はいつでもカッコいい自分がいいかもしれないけど、そんな風に、オレに弱みを見せてくれて、ちょっとうれしいんだ。」
「克哉さん・・・・・そっか、そうだね。うん。ありがと。なんか分かんないけど、じわーって元気出てきた。」
「無理して元気出す必要なんかないよ。」
「あー、なにそれっ、克哉さん、オレが落ち込んでたほうがいいっての?」
「その位でちょうどいいんじゃないか?」
太一の笑顔に光が射していく。
気が付けば二人声を上げ、同じ笑顔で笑い合っていた。
太一はそっと心の中で呟く。
オレ、あの曲に、とびっきり幸せな歌詞を付けてあげたい。
そうして、もう1度、克哉さんに聴いてもらうんだ。
本当言ったら、やっぱりどうしようもなく自信がなくなる時がある。
オレが克哉さんにとって必要な人間か分からなくなる時がある。
でも、そんな想いも全部、克哉さんに伝えてみたい。
数日後。
克哉の元にとびきりの笑顔で太一は告げる。
「克哉さん、曲、出来たよ!聴いてよ!」
2008/7/2