共犯
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「吾郎くん」
白いTシャツの背中を向けた君に呼びかけてみる。君は振り向かなかった。
賑々しい笑い声が流れるテレビに顔を向けたまま動かない。
別段楽しんでいるようには見えないのに、ぼんやりと画面を眺めたまま。
「別に大した用じゃないけど」と呟くと
「あん、何か言ったか?」間が抜けた声で振り返る。
「なんでもない」君の返事はない。
「吾郎くん」
二段ベッドのはしごを登り覗きこむ。
なーんにも考えていない顔で寝息を立てている。
まるで僕の存在などお構いなしに寝ている。
別に当たり前のことじゃないか。それでもなぜかそれが悔しくて寝ている君の頬に手を触れてみる。
もし、それで目を開けたら許してあげよう。僅かな期待を持って君を待つ。
3・2・1・はい、時間切れ。
僕は手を離し、はしごを降りる。
至って日常の場面の一コマなはずなのに、なぜかそれだけで拒絶されているような気分になるのは末期的だ。
こんな些細な日常のストレス(と言っても本来ならこんな事がストレスの原因になるなんて事の方がおかしいと言う事は自分でもわかっている)が僕の中で積もり積もって自分でも手に負えなくなる。こんな感情を持て余してしまう。
君とこの部屋にいるっていうのに、一人でいる時より君といる時の方が寂しくなる。
どっかで聞きかじった言葉。
「二人でいても一人でいる時より寂しかったらその恋は終わり」
言い得て妙だな。全く。
相変わらず背中を向けた君を眺めながら考える。そうか、終わっているのか。
期待をしちゃいけないんだ。君に何も期待をしちゃいけない。
そうすれば、こんな息苦しさはなくなるだろう。
君が僕を拒絶するんじゃなくて、僕が君を拒絶すればいい。
「寿」
不意に立ち上がりベッドの淵に腰掛けた僕の前に君が立つ。
「なに」
「あのよう」
「どうしたの。」
「なんっつーかさ、最近、してなくね?」
「そうだね。」
「そうだね、っておめー、随分淡白じゃねぇか。」
「そうかな。」
「なんだよ、お前、いいのかよ。」
「君がしたいならしてもいいよ。」
腰に手を回し体を抱き寄せる。考えなくても体がもう覚えてしまっているから君が早くイケるようにする。服を脱ぎ僕は体を開く。
昔テレビで見た洋画の娼婦。『キスはしない』って言っていた。そうすれば心まで溺れないと。
耐えるような息遣いの君が、雛がえさを求めるように唇を寄せてくる。君も体が覚えてしまっているみたいだ。
それでも、意識的にそれをかわす。僕は君に溺れない、もう君に溺れたくない、という意思表示をするために。
薄目を開け、君が僕を見る。
「なんだよ。」
「なにが。」
「なんで避けるんだよ。」
「そんなことないよ。」
「じゃ、キスしろよ。」
「しないよ。」
「なんでだよ。」
「もう僕は君にキスしないんだ。」
「俺が嫌いになったか。」
「そうだよ、嫌いになった。」
「じゃなんでこんな事するんだよ、嫌いなら普通できねぇだろ。」
「そうだね、じゃあこれで最後にするよ。」
僅かに視界に入った君の表情が歪んだ。
これでもう僕は自由だ。
僕は満足した。
君が果てた後、出来るだけ時間を置かず立ち上がり君に背を向ける。
もう、2度と君と寝る事はない。
あの夜から君の態度が変わった。
当たり前か。僕は吾郎君に「嫌い」だと言った。
たった一つの言葉が簡単に人間を変える様子を僕は眺めていた。
君が部屋を出ていく時に閉めるドアの音。それさえも、君が僕を遮断する音のように響く。
こんな日常の些細な音にまで感情が込められるのか、と思った。
でもこれは僕が望んだ事だ。
じわじわと追い詰められるより、一人君からの拒絶を味わうより、いっそ僕から君を捨ててしまえばいい。
簡単な結論だった。
だから、君の後姿を見ても、僕はもう穏やかな気持ちでいられた。
君から与えられる感情じゃなく僕が選んだ手段だから。
こんな風にやっと自分を取り戻したと思った時、ふと考えた事があった。
本当にあれは拒絶だったのか。吾郎君は僕を拒絶していただろうか。
ただ単純に吾郎君は考え事をしていて、僕の声が聞こえなかっただけじゃないのか。
ただ普通に吾郎君は眠っていたに過ぎないんじゃないのか。
そう考えた時、あんまりにも単純すぎる顛末に思わず笑ってしまった。
実際そうなのかもしれない。
君は何も考えずに人を惑わすのが得意だから、あんな風に僕は一人、君にがんじがらめになっていただけなのかもしれない。
その時ようやく我に返った。僕は一人になったんだと気がついた。
こうやって眺める君の背中をもう僕は手放した。
馬鹿だな。こうして強がって突き放してから気がつくのは悪い癖だ。
君といても僕は孤独になった。
「寿」
君が目の前に立っていた。
座った僕を見下ろしている。君にもそんな表情出来るんだね。それじゃ、君が何を考えているかわからないじゃないか。
君の右手が僕の頬にゆっくり触れた。
「もうあれで最後だって言っただろ」微かに微笑みながら告げる。
「あぁ、言ってたな。」
「もう僕は君とはしないんだよ。」
そう言いながら君の手の甲に自分の掌を重ねた。
「そうか」君は手を離さないまま僕に顔を近付ける。
「もうしないんだよ。」
僕は君に口付けた。
「かまわねぇよ。」
君の舌が絡んで答えられなかった。
こうして目を閉じて浮かぶのはあの時の君の顔だった。
「嫌いになった」そう告げた時の君の顔。
あの時、君があんな顔をするとは思ってもみなかった。
視界に入った一瞬。目を閉じたまま僅かに眉を顰めた表情。
君はあの時とても痛そうに見えた。僕の言葉が君を刺したんだと思った。
そしてあの時の君の顔を見た時、僕は満ち足りていた。
まだ僕にも君に痛みを与えるだけの力が残っていたんだ、そう思ったあの一瞬、僕は確かに幸せだった。
うんざりするような幸せだ。
こうしてまた僕は自分が嫌いになる。
君は僕が突き刺した言葉をそのままにしてもこうやって何もなかったように唇を合わせる事が出来るんだね。こうやって粘膜を触れ合わせても君は何も僕に惑わされない。
「お前、本当に俺が嫌いか。」
君が僕の身体を開く準備をしながら見下ろす。
そんな簡単に聞かないで欲しい。
「お前にあんな事言われるなんて思わなかった。」
ずるいな。そうやって君は自分だけ被害者になるつもりか。
「本当に俺が嫌いなら。もしそうなら今度こそ本当にこれで最後だ。」
僕にその選択をさせるのは随分残酷な優しさだね。
行為だけが一人歩きをしていく。身体だけは僕と別の生き物みたいに君を受け入れ飲み込んでいく。
「――っぁ」僕はわざと小さく声をあげた。
「答えろよ。」僕の身体を貫いたまま君の目が僕を射抜く。
こんな風に苛立ったまま僕を抱いた事は今までなかったのに可笑しいね、君らしくないよ。
「違うよ。」
「何が違うんだ。」
「僕が吾郎君を嫌いなんじゃない。」
「なんだよそれ。」
「君が僕を嫌いなんだよ。」
「俺が?何いってんだ、寿。」
「君が僕を嫌いだから僕も君が嫌いになった。」
「は?何で俺なんだよ、いつ俺が、お前が嫌いだなんて言った。」
「言わなくても僕はそう感じた、君に避けられているって思ってた。」
「どうして」
「君といると寂しかった。僕だけが君に対して欲張りになっていつも取り残された気がしてた。」
「―――――」
「吾郎君、知ってる?人はね、長い間恋は出来ないようになっているんだって。
脳が熱病に侵された状態になって、オーバーヒートして危険だから。自動制御されるんだ、本当なら」
「自惚れるな。」
「え」
「だから自分だけ特別だ?制御出来ない自分は特別だって言いたいのか?自惚れるな。
俺はあの時、お前が俺を嫌いだって言った時、すげーショックだった。お前があんな事言うなんて考えた事なかったから。自分でもどうしたらいいか分かんねぇ位ショックだった。」
「そうだね。それが分かったから僕は満足したんだ、君を傷つける事が出来て安心したんだ。浅はかだろ?僕はそんな自分も嫌いで、だから、」
「だから、酷い奴だから俺にもお前を嫌いになれって?馬鹿かお前、お前がエグいリードとる事ぐらい百も承知なんだよ。」
「そう、その程度の認識か。あれとこっちは別物だろ、あれは僕が生きていく手段なんだ、
でもこっちの気持ちは頭で考えられるもんじゃない、僕自身のリードなんて出来ないんだよ。
ねぇ、もういいじゃないか、そんな事どうでも。もう焦らさないでよ。」
「よくねぇよ、何でお前そんなに自分に自信持てねぇんだ?
お前、俺の気持ちはどうでもいいってのか?お前に傷つけられた俺の気持ちはどうでもいいのかよ?
自分ばっかり被害者みてーな面してんじゃねぇよ。
嫌いなんて言葉、お前言われてーかよ。」
ふっとその言葉は僕の中に入った。
そうか。
君にとっては僕が加害者、なんだね。
「ごめん、悪かった。」
「それにな『恋』なんて話しは関係ねぇ、元からそんなんじゃねぇだろ。」
君の顔にいつもみたいな不敵な笑みが戻った。
「随分はっきりと言ってくれるね。」
じゃあ何なのさ、と聞くのもどうでもよくなるじゃないか。
そんな事聞いたところで君に答えられる訳がない。
「必要なんだよ、お前が。野球にも俺の人生にも、ま、これにもな、俺にはお前が必要なんだ。」
「勝手な言いぐさだ。」
「あぁ、そんなのお前だって百も承知だろ。」
「必要がなくなるまで僕は君の人生に付き合わされるのか。」
「あぁ、そうだよ。お前はこれからも俺に振り回されるんだよ。」
それは僕には甘い約束のように聞こえた。
fin.
このSSを『スポ根祭』みこ様に捧げます
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