「ところであんた。『お姫様』囲っているらしいな」
そう言った相手は太一の表情を伺うように言うと、下品に口元を歪めた。
歪められた口元からは、今にも蛇のような長い舌をニョロリと這い出させそうだ。
「それをどこで聞いた」
胸の奥から絞り出すように答える。
目の前に立つ、卑しい臭気を撒き散らす男。男の吐く息がこの空気を汚していく。しかし太一は決して相手から視線は外さない。
この男が自分を快く思っていない事ぐらいは知っていた。
合理的でビジネスライクな太一の手腕は他の組の者からしたら目障りな存在なのだろう。体裁、面目といった思考が未だ支配するこの世界。
いつか自分を制裁しようと企てる人間が現れるのは覚悟していた。
しかし。
いつの間にか太一の手は冷たくなり、それなのに汗だけが握られている。
この男はあの人の事を口にした。
太一は胸の中に不穏なざわめきを感じる。しかしそれを悟られてはいけない。今、絶対に隙を見せてはならない。
そんな太一の心の内を見透かすように、男は一層破顔させながら声を高める。
「いやーさすが、五十嵐家の新鋭は贅沢な玩具をお持ちで。まったく羨ましい限りだねぇ。」
こいつが今、何を言わんとするか分かり過ぎる位分かる。
「お前。克哉さんをどうする気だ。」
心底愉快そうに男は肩を震わせたまま太一を眺めている。
「ふざけるな。克哉さんに指1本でも触れてみろ。お前等全員ただじゃおかない」
地を這うような押し殺した声で相手を睨みつける。
「くっくっく・・・さぁ、どうだろうねぇ・・・・・今頃うちの若いのが『お姫様』のお味見でもしてんじゃないか?」
全身の血が抜け落ちたような気がした。
どうしてもっと早く気付かなかった?こうしているこの瞬間。克哉さんの身の何が起こっているのか。
咄嗟に脳裏には克哉の姿が浮かぶ。腐ったような臭気の男達が克哉の身体を犯し、汚していく様。
叫ぶ克哉の口に容赦なく咥え込まされる醜いもの。後ろから、感じていない克哉の身体に強引に肉棒を押し込む。
身体を裂かれる断絶魔に涙が零れ、それでも許される事はない克哉の姿がはっきりと見えた。
瞬く間に、身体中の細胞が一つの感情だけに支配されていく。
激しい憎悪。生まれて初めて体感する、目が眩むような殺意。
自分が今、どんな顔をしているかよく分かった。
オレはこいつらと何も変わらない。腐った憎しみに支配された卑しい顔だ。
何の迷いもなかった。
素早く懐に忍ばせた懐剣を手にすると、目の前の男に突き立てる。初めて人を刺した感触が刃物を通して手に伝わる。
目の前の男の顔がコマ送りで見るように、ゆっくりと苦渋の表情へと変わっていく。
豚肉切んのと変わんないじゃん
一瞬妙に可笑しさが込み上げてきた。大声を上げて笑い転げそうになった。
・・・オレ、いっちゃってるな。
一度、細胞が体感し覚えた感覚は、あとはその行為を繰り返すだけでよかった。
「こいつっ!」
咄嗟に背後にいた数人の男が太一に掴みかかり取り押さえようとしたが、それをかわしながらその男等の腹部をめがけ切り付ける。
内臓を裂く感触が心地いい。一度覚えてしまえば簡単な行為だ。
騒然とした室内の空気の中、男達の呻く声と太一の荒い息だけが残されていく。
我に返ったように周囲を見渡せば、床やソファの上に臥した血だらけの男達。生きているのか死んでいるのかは分からないが、もう動く気はないらしい。
冷ややかにそれらを一瞥すると、太一は弾かれたように目を見開く。
克哉さん・・・今行くから。絶対に助けるから。
足元に転がった男の頭に靴が当たりゴンと鈍い音を立てたが、お構いなしに荒々しい歩調で部屋を飛び出そうとした。
「・・・・まて・・・・」
弱々しい声に太一はキッと振り返る。
「お前のとこに誰も行っちゃいない・・・・」
机に臥していた始めの男が緩々と顔を挙げ太一を見ていた。
「何だって?」
「・・・・・ちょっとカマかけてみた・・・だけだ・・・お前を大人しく・・・・させる為にな・・・・
まさか・・・こんな・・・・こ・・と・・する・・と・・は・・」
男は絞り出すように言うと、言葉はそこで途絶えた。
「そっか・・・」
そう呟いた時には。太一は子供のような表情に戻った。太一を覆っていた獣のようなオーラがすとんと消える。
無邪気な笑顔。全身に返り血を浴びた姿とは余りに不釣合いなあどけなさ。
再びゆっくりと太一は動き出した。
「良かった・・・克哉さんが無事で・・・・」
フラフラと部屋と出る。こんな姿じゃ人目を引きすぎるかな、とも思ったがそれもどうでもよかった。
雑居ビルを出ると人通りの少ない裏道を歩く。
自分で思ったよりこの数分でどっと体力を消耗したらしい。
体がやけに軽く感じ、浮遊感に飛ばされてしまうような気がした。
それでもポケットから携帯を取り出すとはっきりとした口調で電話を掛ける。
「オレだ。暫くそこには戻らない。あぁ、そんな長くは掛からない。
あの人はどうしてる?・・・・そうか。じゃあ、伝えておいてくれ。
『今すぐそこから出て東京に帰れ。あんたにもう用はない』と。分かったか。
・・・いいんだ。納得しなくとも追い出せ。『オレはもうあんたに飽きた』とでも言えばいい。頼んだ。」
これでいい。
オレはこのままじゃ済む筈がない。そうすれば克哉さんの身に何が起こるか。
先刻頭に浮かんだ克哉の姿が甦る。今度はもうはったりでは済まないだろう。
こんな風に生き別れるのは不本意だが仕方が無い。ほとぼりが冷めれば必ず克哉を見つけ出し、迎えに行く。
太一は思い出そうとした。今日蔵を出る時最後に見た克哉の表情。
・・・あぁ克哉さん、笑って見送ってくれたっけ。オレもちゃんと笑ってた。良かった・・・・
ほっと息を付く。立ち止まり俯いた顔にはにかんだ笑顔が浮かぶ。
ドサッ

背後に人が覆い被さった。
咄嗟の事に脳が判断出来ない。
何だこいつ。
そう思った途端、背中に激痛が走った。
「あんたともあろう人がそんな隙のある顔を見せるとはな。」
あぁ・・・この顔は見たことあるな。さっきの組の奴・・・そういや、部屋にいなかったっけ・・・・
「あれだけ派手にやられて黙ってたら、こっちのメンツってもんが立たないんだよ・・・分かるだろ?」
「ご苦労なこった」
小さく震えた声しか出ない。一気に嫌な汗が滲んだ。と同時にガタリと体が地面に倒れ込む。
太一に刀を突き立てた男はそれを見届けると足早にそこから立ち去った。
冷たいアスファルトの地面が頬に触れる。道に染み込んだ雑踏の匂いが鼻につく。
酷く五感が研ぎ澄まされる気がした。深く息を吸い込むと、ドロリと背中から血が流れ出るのが分かった。
・・・・意外と早かったな
痛みで霞みそうな意識の中ぼんやりと思う。
こんな風に突然人生を絶たれるかもしれない。そんな予感は自分で感じる事もあった。
それが今日だったか。
本当に突然なんだな。全く、オレらしい、ってか・・はは・・
ちくしょう・・・背中痛いな・・・・
でもさー。
それなりに楽しかったな・・・オレの人生。
うん。悔いはない。
ギター弾いてる時は本当のオレでいれた。そう実感できる時間があっただけきっと恵まれている。
それに。
克哉さん。
あなたに出会えた。それがオレの人生1番のラッキー。
克哉さんは信じてくれないかもしれないけど、オレ、克哉さんといる時が1番自分らしくいられたんだ。
克哉さんはオレが克哉さんを縛っていると思ってるかもしれないけど、本当はオレの方が克哉さんに縛られてた。
でもそれは本当に幸せな呪縛なんだ。
今までここでオレが生きてこられたのも、克哉さんがいたから。
じゃなかったらオレ、もう生きてる意味なんてなかったもん。
欲を言ったら、もっと一緒にいたかった。
もっと一緒に笑いたかった。
もっと一緒に泣きたかった。
もっと。もっと。もっと・・・・・・
あれ、オレ、すげー欲張りじゃん・・・あはは
本当は死にたくなかったな・・・・
克哉さんとじーさんなってもいちゃいちゃしてたかった。
でももうダメみたい・・・
克哉さん・・・
だいすき。
ほんと、だいすき。
いっぱい泣かしちゃってごめんね。
ありがとう。オレといてくれて。
オレと一緒にいてくれて。
ほんとに
ありがとう
ありがとう
 
 
 
涼しい夜風に太一の髪がそよぐ。
空に浮かぶ満月だけが、ちょっと恥ずかしそうに、でも幸せそうに微笑む太一をいつまでも照らしていた。









2008/3/8