「え・・・?」
その時、茂ちゃんの思いも寄らない言葉に、はっと顔を上げた。
「もう修ちゃんはそんな罪悪感を持ったまま僕と一緒にいなくったっていいんだ。
・・・・どう?安心した?」
そう言うとにっこりと小首をかしげる。
・・・茂ちゃん?急に・・何を言ってるんだ?
確かに。
僕はたった今、思った。茂ちゃんは、あの傷から解放されたんだって。
でもそれは、茂ちゃんが傷から解放されたって言うことで僕が茂ちゃんの傷から解放されただなんて、これっぽっちも思わなかった。
「これでもう修ちゃんは無理に僕に会いにくる必要もなくなった。今まで長い間本当にありがとう。」
「何を言ってるんだよっ!」
その言葉を聞いた僕は咄嗟に叫んでいた。
茂ちゃんの口調と言葉は、一切僕を否定していない。
なのに、ひどく冷たい気持ちを含んでいる気がする。
なんで茂ちゃんはそんな事を言うんだ?
「僕はそんな気持ちで茂ちゃんに会いに来たわけじゃないよ!
確かに、茂ちゃんには悪いことしたと思ってたけど・・・・それだけでここに来てた訳じゃないっ!」
決して僕の様子に動揺する風でもなく「ふーん」と、さも驚いたように言った後、
「だったら、なんの為?」と聞き返した。
柔和な笑顔と、朗らかな口調。
それなのに、僕は動けない。
「・・・ほら。答えられないでしょ?
修ちゃんは罪悪感だけで僕に付き合ういい人だもん。」
「違う・・・茂ちゃんは大事な友達だから・・・」
「だから負い目を感じながらでも接するんだ?」
「・・・・そんなんじゃない」
答えながらも僕の声は次第に消え入りそうになる。
そんな事、考えてみたこともなかった。
僕はただ、こうして茂ちゃんといることが当たり前で、そのことに理由なんて・・・・
「それじゃあ、僕がどんな事をしても修ちゃんは僕の友達なの?」
「当たり前じゃないかっ!」
そうだ。どんな事をしたってそれが茂ちゃんだったら。
「ふーん。そうなんだ」
まるで突き放したような言葉。
「やっぱり修ちゃんはいい人だ。でも僕、それを聞いて安心したよ。
だったら、僕が修ちゃんに何をしても僕の事、きらいになったりしないんだよね?」
「・・・あ・・・うん・・・」
思わず言い淀みそうになる言葉だったけどそれでも答える。
「こんな事しても?」
「え・・・・」
言葉を失っている間に茂ちゃんはフワリと僕の目の前に落ちていた包帯を手にする。
にこりと笑った笑顔の茂ちゃんの視線が絡まる。
だけど、それはすぐにその白い布に遮られてしまった。
その瞬間、僕の思考は停止した。何が起きたのかよく分からなかった。
ただ、顔、耳、頭の間を細い布が往復していくのを間近に感じる。
「し・・茂ちゃん・・・?」
戸惑いながらもやっとの思いで茂ちゃんを呼んだけど、茂ちゃんは何も答えてはくれない。
しばらく過ぎると「長すぎるな」小さく呟く声がして茂ちゃんの立ち上がる気配がすると
「少し切るね」と語りかけられた。
「な・・なにを・・・?」
得体の知れない恐怖を感じた。
耳元で「動いちゃだめだよ」と囁かれると同時にゆっくりと耳の近くでザクッっと物が切れる音を聞いた。
全身に寒いものが走る。
「出来た」
満足そうな茂ちゃんの声。茂ちゃんの手が僕から離れる。
一体茂ちゃんは何をしようとしているのか。
緊張して喉が乾く。
無意識にゴクリと息を飲み込む。
包帯で視界を奪われた世界は、真っ暗のようで真っ白だ。
耳から聞こえる音だけがやけにはっきりとしている。
茂ちゃんが動いている気配。
「茂ちゃん・・・・?」
不安から思わず声を出す。
茂ちゃんは答えてくれない。
ところが。
「っぁ・・・・」
小さく呻くような声がした。
苦しそうな声・・・・茂ちゃんなのか?
僅かな音は続く。
布の擦れるような音。
「っはっ・・・ぁあ・・・」
「茂ちゃんっ!?」
突然大きく上がった苦しげな声に僕の心臓はドキドキと鼓動を早めた。
一体、茂ちゃんに何が起きたんだ。
茂ちゃんは答えてくれない。
ただ、荒い苦しげな呼吸だけが続く。
その呼吸を聞きながら茂ちゃんが心配で堪らないのに身体の中に何か、違った感覚を感じ始めていた。
身体の奥の方が熱い。
「茂ちゃん・・・・」
もう1度、名前を呼ぶ。
不安もあった。だけど、そのせいだけじゃない衝動が声を震わせていた。
答えの代わりに、茂ちゃんの息がもっと荒くなっていく。
「どうしたの・・・?茂ちゃん・・・お願いだから何か言ってよっ!」
「大丈夫だからっ・・・黙ってて・・」
絞り出すような声がようやく聞こえた。
だけどそれは僕を遮断するものだった。
失意と焦りと訳の分からない身体の感覚だけが取り残される。
・・・・触りたい。
身体の奥底から声がした気がし、ハッと息を飲む。
何だ、今のは?
何に?
誰に?
分からない。
ただ、身体の中に沸き起こる衝動は尚も膨れ上がって爆発しそうだ。
「――――し・・・茂ちゃん・・・・ぼくも・・・・ぼくも苦しいんだ・・」
必死に訴えた。
助けて欲しい。
茂ちゃんに助けて欲しい。
思わず身体が揺れ、茂ちゃんに近付こうとした。
「だめだよっ!・・・・修ちゃん、僕に近付いちゃだめ・・・」
茂ちゃんの柔らかい声の中にも、きっぱりとした拒絶を感じ僕はその場で動けなくなる。
「はぁ・・・はぁ・・・・ぁ・・」
自分の激しい息遣いもはっきりと聞こえた。
苦しい。苦しい。苦しい。
でもどうすれば、この苦しさから逃れられるのか分からない。
涙が溢れて目を覆った包帯を濡らしていく。
「修ちゃん・・・・」
名前を呼ばれた。
僕は答えられない。
「修ちゃんも・・・・苦しいの・・・?」
声に出せないまま、コクコクと頷いた。
「――――でも・・だめなんだ・・・・
お願いだから・・・・待ってて・・・・もうちょっとだから・・・・・」
そんな事を言わないで――――茂ちゃん
お願いだから、僕も助けて――――
茂ちゃんだけ、その方法を知っているなんてずるい・・・
「っぁ・・・はっ・・・はぁ・・」
激しくなるばかりの茂ちゃんの声。
でもその音は余計に僕を追い詰め、どうにもならない苦しいじれったさに奥歯がガチガチ音を立てる。
音は激しさを増していく。
滴るような音、擦れる音。
聴覚だけが僕を堰き立てる。
「茂ちゃん・・・・茂ちゃん・・・」
それでも僕はうわ言のように茂ちゃんの名前を呼ぶことしか出来ない。
「修ちゃんっ」
茂ちゃんは小さく僕を呼んだ。
「・・・・・ぁっ・・あっ――――」
僕は身体は金縛りにあったみたいに動けなかった。
涙が溢れて、息が乱れる。
だけど茂ちゃんの周りの張り詰めていた空気の気配は変わった。
息遣いが、大きな深呼吸のようになる。
――――茂ちゃんは助かったんだ
そう思った。
僕の周りでがさがさと音がする。
茂ちゃんが立ち上がったり、忙しなく動いているのが分かる。
「ごめんね、修ちゃん――――今、これ、解いてあげるからね」
そう言うと、そっと僕の頭に手が触れた。
反射的に、ビクリと体が大きく振れてしまう。
こんな小さな感触なのに、電気が走ったみたいに全身を震わせた。
その後は金縛りだ。
包帯がみるみる外されていく。
それは呆気なく頭から離れ、たったこれだけで僕の動きの全てを止めてしまっていたのが嘘みたいだった。
すっかりと顔を覆っていた包帯が取り除かれると、僕は恐る恐る目を開ける。
真正面から茂ちゃんが僕を見ている。
「修ちゃん・・・・泣いてる・・・」
僕を見て呟いた。
無造作に床に落ちた包帯は僕の涙で濡れ布に染みている。
それを自分で見詰めると、やるせない気持ちになった。
だと言うのに、目はまだ涙で潤んでいる。熱い身体もそのままだ。
「茂ちゃん・・・・ぼく、どうすればいいのか分からないんだ・・・・・
熱が出たみたいに身体が熱くて・・・心臓もドキドキして・・・・
さっきまで茂ちゃんもそうだったのにっ・・・どうして・・・僕だけ・・このままで・・
取り残されてっ・・・・」
息もまだ苦しくて、言葉が途切れ途切れになる。
上目遣いに茂ちゃんを見上た。
「可哀想な修ちゃん・・・・」
哀れなものを見るような表情で茂ちゃんは僕を見下ろす。
「ねぇ・・・・お願いだから・・・茂ちゃん・・・教えて・・・・
どうしたら僕は・・・楽になれるの・・・・?」
縋るような気持ちだった。
きっと茂ちゃんだった僕に教えてくれる。その方法を。
僕をここから救い出してくれる。
友達だから。
信じてた。
なのに・・・・
「修ちゃんはだめだよ。知らない方がいいんだ。」
艶やかな笑顔で茂ちゃんは言った。
あんなにも茂ちゃんの笑顔が残酷に見えた事はない。
「修ちゃんはね、そのままがいいんだ。」
その言葉に思わず涙が零れる。
きっと本当に茂ちゃんはそう信じているのかもしれない。けれど。
そんなのは、僕には耐えられない。
「今日はもう帰った方がいいよ」
「そんな・・・・」
言葉を失う。
「修ちゃんはきっと具合が悪いんだ。熱でも出たんだよ。だから家に帰って休んだほうがいいって。ね?」
そう言いながら軽く手を僕の肩に触れた。
それだけで全身がビクリと震えてしまう。
「さ、立って。」
「あ・・・」
茂ちゃんに促されおろおろと立ち上がろうとした。
でもすぐに立ち上がれなかった。
自分で状況が飲み込めなかった。
それでも茂ちゃんは「あんまり遅くなるとおうちの人、心配しちゃうよ。」と僕を急かす。
「う・・うん・・・・・」
前屈みのまま僕は立ち上がり、そろりと歩きだした。
眩暈がする。
これもこの熱のせいなんだろうか。
階段を下りながら、いつ転げ落ちてしまわないか気が気じゃなかった。
「じゃあね。」と茂ちゃんが手を振る。
「うん。」玄関を後にしようとしたその時。
「修ちゃん大好きだよ。ずっと友達でいてね。」
天使みたいな笑顔で言った。
その次の朝。
目が覚めた僕は久々のおねしょをしてしまった事に気付いた。
<汚れた包帯>end
このSS endをあお様に捧げます