室内には薄いクレゾールの匂いがする。
小型のテレビがベッドの横にあるが到底見る気など起きない。
何もする事などない。今の俺はただこうしてベッドに身体を横たえてればよかった。

『あなたと言う方は本当に欲深い。それ程までの栄華を誇っておられながら尚、心の隙間に囚われておられる。』
もう長い間あの男に会う事はなかった。もうその必要もない筈だった。
なのになぜ手に乗った石榴の実を俺は受け取ったのだろう。この男から与えられる物にろくなものはない事くらい分かっていると言うのに。
『この果実があたなを新たな快楽へと導く事を願っております。』
フフフ・・・・と歌うように息を漏らしながら夜の街へ消えていく後ろ姿を見送った。
その後の記憶は曖昧だった。割れた皮から覗いたルビー色に輝く石榴の実ははっきりと脳裏に焼きついている。そして口に含んだ実から溢れた酸味とほのかな甘み。それだけが確かな記憶だ。
次に目を開けた時、ぼんやりと視界に入ったのは味気ない白い天井。そこが病院だと言う事がしばらく理解出来なかった。俺はベッドに寝かされ、左足は白い包帯で膨れ大仰に吊るされていた。
どうやら俺は大腿骨骨折をしていたらしい。
しかし時折見舞いに来る人のよそよそしい様子や、普段は忙しくも明るく接する看護師が何気なく見せる哀れみのような表情。
自分の記憶がない事を周囲の人間だけが知っている現実に苛立った。
それが意味する事を確かめるべく俺は見舞いに来た本多を問いただした。
「お前・・・・本当にそん時の事、何も覚えていないんだな。」
悲痛そうに唇を噛み締めながら声を震わせる本多に一層苛立ちは募る。
「お前にそんな情けない目で見られる筋合いはない。はっきりと言え。俺に何が起きた。」
「・・・・・じゃあ言うけどな。お前、あんまり気にするんじゃねーぞ。」
「そんな事はどうでもいい。早く言え。」
「・・・・・お前、投身自殺したんだよ。」
「なに?」
「ビルの階段から飛び降りた。・・・・・って言ってもそう高い所じゃなかったんだ。だから本気でお前が死ぬつもりじゃなかったんだって俺は信じてる。」
そう言い本多は顔を背けると、苦痛に耐えるように肩を震わせた。