身動ぎせずただ衝立を見詰める。
この向こうに確かにある片桐の存在。濃厚にその気配は漂うものの一度も姿を見ていない今、それは酷く不確実なもののようにも思える。
しかし俺はすぐに薄く笑った。
「片桐さんでもそんな意地の悪い事を言うんですね」
「本気です」
自分でも恥かしい要求をしているという自覚はあるのだろう。その声はさっきまでのものとは違い思い詰めたように俯いた。
「しかしどうやると言うんです?俺もあなたも動けない。まさか骨折構わずやってこい、というのですか」
「佐伯君をからかったり、馬鹿にしている気持ちはありません」
「動けない相手を挑発する事は一種のからかいでしょう」
「からかっているように・・・・聞こえますか?」
「いや。しかし業と切実な声を出す、というからかい方もある。」
「佐伯君は・・・からかわれる事が嫌いなんですね。」
片桐からふっと力が抜けた気配がした。
「本当に、佐伯君をからかってなんかいないんです。・・・頭も・・・おかしくないつもりです。」
「しかし例え応じようにもこの状況では不可能です。」
「そうでしょうか?」
片桐は強く促すように言った。片桐は一体何を要求しているのだろうか。黙ったまま俺は衝立を見詰める。
「衝立をどかしてもいいですか」
確かめたかった。
片桐の存在をこの目で見たかった。
腕を衝立に伸ばす。
「だめです・・・それはっ・・・・」
突然、頑なな声がそれを遮った。助けを求めるような声に思わず俺はたじろいだ。伸ばした手が宙に浮く。
「お願いです・・・・佐伯君・・・・衝立はこのままで・・・・・・声で」
「声で・・・?」
「声で・・・僕を犯して下さい。・・・・今・・・・服を肌蹴ます」
片桐の声は次第に元の柔和なものに戻っていく。しかし発せられる内容に耳を疑った。
隣からは毛布を払うような音。着る物をもどかしく開く気配。
まさか片桐は、本当に声で俺に犯されることを望んでいるのか。まだ俺はこの現実に対応しきれなかった。
しかし衝立を通した片桐の息遣い、微かな布の動く音を聞くと、しらけてみてなにになるという思いもある。片桐に恥をかかせる訳もいかない。
「身体に・・・・・」
片桐は言った。「触ってくれませんか」
「わかりました――――いいでしょう」
俺は小さく決心した。
しかし、すぐさま片桐の世界に溶け込んで行くことは出来なかった。かつて御堂に対し感じた征服欲を今、片桐に向けることは出来ない。俺は戸惑っていた。
小さく息を飲み口を開く。
「右手を触れます」
自分の声が味気なく響く。
「はい・・・・」
片桐が応える。
「腹から胸へ撫でます」
「はい」
「綺麗な肌をしている」
他に言いようがないのかと焦る気持ちになる。
「白い肌だ―――」
「はい・・・・」
「乳首を抓んで」
なるべく酔うように努めなければならない。陶酔するように。没頭するように。
片桐のやや深い呼吸の反復が聞こえてくる。その世界を壊してはならない。
しかしそう思えば思うほど俺の戸惑いは大きくなる。
「なにを」俺は言った。「どう言っていいか」
「佐伯君は・・・何も言わなくて・・・いいんです」
「しかし」
「黙ってても・・・・いいんです・・・・このまま・・・ただこうして・・・」
消え入りそうなその声を聞いた時、俺の中に衝動が走った。
片桐を抱きたい。
片桐の身体に触れ、抱き締め、キスをし、性器に触れ、交わりたい。
突如襲った強い性の衝動に自分でも動揺した。
「抱きたい」
「え・・・」
「片桐さんを――――抱きたい」
「はい・・・・」
声に熱が篭ったのを感じたのだろうか。恥らうように片桐は答えた。
「開いているのは胸だけですか?」
「はい」
「下は脱げませんね」
「はい。でも・・・・」
「手を入れることは出来る」
「はい」
「手を入れたい」
「はい」
「足を広げて・・・・手を触れます」
「はい」
「少し、固くなっていますね」
「・・・・はい」
「下からゆっくり動かして・・・・先端に触れます・・・・・そっとそこを撫でて」
「は・・い・・・」
片桐の声が僅かに途絶える。短く漏れるような息遣いに変わる。
「指を下ろして・・・裏に沿って・・・下まで」
「んぁ・・っ」
感じる所に触れたのだろう。片桐の声が微かに上擦った。
「そこがいいんですね?ほら・・・そこをもっと強く・・・握って・・・」
「はぁ・・・っ!」
一層高まった片桐の声が部屋に響く。その艶かしさに次第に俺の身体も昂揚していく。
「・・・佐伯君・・・・・君も・・・・一緒に・・・・・」
途切れ途切れに呼ぶ声に引き摺られ、自分の布団を肌蹴た。
「濡れてきましたね・・・いやらしい音がする」
「はい・・・・」
「すくって撫で付けて・・・・動かします」
「はい・・・・はぁ・・あの・・・・佐伯君・・・・」
「何ですか」
「佐伯君も・・・同じように・・・・」
「あぁ俺も・・・・もう」
「・・・よかった」
安堵するような声を聞きながら、こんな時にも相手を気遣うとは、一体この人は俺より余裕があるのかないのか分からないな、と思う。
白に覆われた暗い部屋の中、俺はこの行為に没頭していった。
「片桐さん・・・・・片桐さんの中に俺を入れていいですか」
「君が・・・・望んで・・・くれるのかい・・・・?」
「えぇ・・・・俺は・・・片桐さんを抱きたい」
「佐伯君・・・・どうか・・・僕を・・・好きなだけ犯して・・・・・」
「片桐さん・・・」
俺は言葉で片桐の指を導き、そこに指を入れさせ、動かし、深く入れ、探り当て、記憶の中の片桐に身体をあて、開き、推し入れる。
片桐は苦しそうに声を上げ、それでも得体の知れない感覚に飲まれるように、卑猥な音をさせながら俺の名を呼ぶ。
「片桐さんっ・・・ここに全部・・・出していいですか・・・・」
「はぁっ・・佐伯君・・・下さい・・・僕に・・・・佐伯君のを・・・・」
俺は片桐の奥深くに注ぎ込む快楽を口にしながら、自分の手の中に射精した。
久しぶりだった。もう何ヶ月も性的な欲望を忘れていた。


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翌朝、6時半過ぎ、いつも通り廊下にパタパタと足音がしドアが開いた。
「おはようございますー!」
婦長が入ってくる。
「昨日は無理を言ってすみませんでした。お陰で助かりました。それでは約束通り移動しますね。」
「あぁ、はい」
ドアを大きく開く気配。数人の看護師も訪れたようだ。
「キャスターのストッパーを外して。」
婦長が言うと看護師の一人がしゃがんだのだろう、衝立に尻をぶつけた。
「あー、もうこれ、必要ないですね。」
そう言うと看護師は軽々パイプの枠を掴んだ。
「あっ」と小さな悲鳴が上がった。片桐の姿があった。
「どうかした?」
看護婦は片桐に声を掛ける。片桐は俺から顔を背け目を閉じていた。
しかし、白髪の横顔は竦んだように震えている。
生気のない老いた皺のある皮膚の色が、俺の目に焼き付いていた。