Transparent distance
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吾郎の心臓は萎縮した。
寿也の行動は予期していた事だ。この姿勢をとらせた理由はこの為だと。
しかし実際こうしてガラス越しの寿也の視線を感じる事は考えていたものよりも遥かに悪趣味なものだった。
激しすぎる羞恥の為、体が動かない。
ガラスに貼り付いた皮膚の感触だけが吾郎の頭を占める。
――――俺はガラス板の上、プレパラートで挟まれた物だな
きっと今寿也が目にしているだろう光景。生々しい形態をした自分の性器。
その映像が吾郎の脳裏をくっきりと過る。
自分でも思いも寄らなかった。
吾郎の身体に急激に衝動が湧き上がる。
明らかに性欲だ。
吾郎は自分の身体に起こった反応に不信感を持ったが、上がる息を止められない。
ただうつ伏せているだけと言うのに、ガラスに触れた性器が疼く。小刻みに身体中が震えた。
「――――ぅ…ぁ…」
小さく声が漏れる。意志とは無関係に身体だけが激しく反応している。
自分の意識では一切そこには触れていない。ただ強制的にガラスに接しているだけだ。
寿也が自分の下に入り込んだ瞬間、無意識に固く瞑った目を恐る恐る開ける。
視線をガラスの下に落とすと寿也の視線がすぐに飛び込んだ。
吾郎を見詰める寿也の目は決して笑ってはいなかった。
無表情とも思える位冷静な目。ただ吾郎を「見て」いる。
快楽を求め、震える吾郎を観察していた。
それでも滾ってしまった身体を、吾郎は止める事が出来なかった。
虚ろな目のまま助けを求めるように寿也の瞳を見る。
「……ぁっ…は…」
吾郎の荒い息だけが室内に透っていく。
「つらい?」
ようやく寿也が口を開いた。柔らかな声。
吾郎は答えられない。ただ半分開かれた眼から視線だけは逸らさなかった。
「もうきついよね…
だって、吾郎くんのそこ、すごくガラスを濡らしてる」
その言葉にカっと顔が熱くなる。気が付かなかった。なのに寿也だけが知っていた。
しかし今度こそはっきりと自覚する。寿也の言葉で気付かされたそこから、寿也の言葉を引き金に止められないものが滴っていくのを。
周囲を濡らす感覚が気持ち悪かった。
「いいよ、少し腰を上げてごらん。
そう――――そうしたら自分で触って。見ててあげる」
寿也の言葉通り、テーブルの上で僅かに腰を浮かせる。
酷い圧迫感からようやく開放され吾郎は大きく息を吐いた。片方の肘をテーブルの上に突き、ゆっくりと自身に手を添える。
先端はまだガラスに触れていた。
「あぁっ…ぁ……・」
ゆっくりと手を動かすと途端に声が漏れる。日常から掛け離れた状況でのこの行為は認めなくなかったが、いつも以上の快楽を運んでしまった。
身体が汗ばんでいく。
「――――吾郎君」
下から響く寿也の声も吐息を含み甘い。
こんな時、寿也が吾郎の名を呼ぶ声はいつだって無条件に甘い。
その甘さにほだされ、こうして歯止めが利かなくなる。
「吾郎…くん…」
その声に吾郎はきっと高揚した寿也も自分の性器に触れ、同じ快楽を味わっているのだと思った。
そっと寿也を盗み見る。
しかし。
吾郎の思考は錯乱した。
寿也との距離は50cm。
ずっと焦燥を感じていた。そう長い時間ではなかったかもしれない、しかし透き通るガラス一枚で隔てた寿也との距離、そして身体の欲望の温度差。
だけど今はそれを隔てても二人は同じだと思っていたのだ。
寿也は吾郎を見詰める。
吐息を含んだ忙しない呼吸を繰り返しながら。
「―――――寿也…」
吾郎は小さく名前を呼んだ。
寿也は自分の身体のどこにも触れず、吾郎を見詰めたままだった。
身体は相変わらず、自分の手で快楽を貪っている。なのに再び堪らないもどかしさにおかしくなりそうだった。滴る汗がガラスの上に落ちる。全てが寿也には届かない。
「……寿也…寿也…寿也――――」
ただ小さく名前を呼ぶ。しかし身体の中では叫んだ。
――――お願いだ…一緒に…お前も一緒に…俺を求めてくれ……
言葉にはならなかった。
懇願する目で寿也を見、こうして名前を呼ぶ事しか出来ない。
「――――僕は…いいから。…言っただろ?見ててあげるって」
息を途絶えさせながら寿也は微笑む。
「僕の上で、出しなよ」
もう吐き出してしまいたいという身体の欲求、寿也に触れたい、寿也に抱き締められたいという願い、一人きりじゃ嫌だ、という甘え。
苦しい快楽だった。
「寿……寿…ぁ…っ……あぁ……」
最後まで寿也の名前を呼び続けた。
寿也は吾郎の声を聞く。
ひたすら自分の名前を呼び続ける吾郎の声。
例え身体が満たされなくても構わなかった。触れ合えなくても構わなかった。
ガラス越しに、届かない自分を求める吾郎の姿を見詰める事が、寿也の狂おしい幸福だった。
吾郎はまだ荒い息の身体を投げ出す。
自分の白濁を避けるようにテーブルの隅で身体を留まらせた。まだガラスは冷たい。
この虚無感は何だろう。
吾郎はぼんやりとそれを眺める。
自分の吐き出したものは快楽の証だった。なのに心だけが置いていかれた。
苦しい程、寿也を求めて切望して、でも叶わなかった。
身体の熱が冷めていく。
「吾郎君」
小さく吾郎を呼ぶ声はまるで慰めるか謝るかのようだ。
吾郎は答えない。
寿也はそっと腕を伸ばした。ガラスの下から吾郎の身体に触れる。
厚いガラス板は指先の体温さえ伝えない。
ゆっくりと吾郎の身体をなぞるように指先がガラスを辿った。
寿也は思う。
ずっとこんな気持ちだった。触れても触れても届かない気がしていた。
抱き合っても身体の奥まで知ろうとしても、僕達は二つで一つにはならない。
いつでもこうやって隔てられている。
僕は何度それを思い知るんだろう―――――
その時、ふと吾郎が動いた。
吾郎は寿也が触れる指先に自分の指先を押し当てる。
寿也の動きが止まった。
「お前が触りてぇって思うなら俺だって触りてぇんだよ」
ぽつりと呟く。
寿也ははっと吾郎の瞳を見詰めた。
「――――ってか、こんなこと言わせんな」
ぶっきらぼうに言うと吾郎は顔を背けた。
そうだ。それだけでいい。
求めるものが重なるいう理由だけあれば。
「吾郎君―――キスしよう」
寿也は言うと同時に両腕を伸ばすと吾郎の首に絡ませ、引き寄せた。
そっと唇を触れる―――――ガラスの下から。
「―チッ」
小さく舌打ちし、吾郎もその上に唇をのせた。
隔てていてもいい。そこに確実にあるのなら。
何度でもこうやって確かめればいい。
ガラス越しに舌を這わせ絡ませ合った。二つの水音が響く。
いつしかそれは一つに重なっていた。
Fin.
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