「克哉さんの子供が欲しいなぁ。」
はぁ、と息を吐きながら、誰に言うでもないように太一は呟いた。
克哉に聞かせるつもりもなかったのだろうが、同じ室内空間でそう遠くないこの位置にいれば嫌でも耳に入る。
「・・・・子供って・・・。いくらなんでもそれは無理だろ・・・・・」
思わず言葉を返してしまった。
口にしてから克哉ははっと口を噤んだ。
そんなものに付き合ってはいけなかった。
「無理、なの?そうかなぁ?
克哉さんだったらオレと克哉さんの子供、産んでくれそうな気がする。

・・・・・ねぇ。克哉さん。産んでよ。オレ達の子供。」
上目遣いに微笑まれ、克哉は動けなくなった。

太一。今、お前は何を考えている?
何をしようとしている?
オレに何をさせようとしている?
あまりに現実離れした話で、普通ならそんな事に本気で取り合うことのほうがおかしい。
なのに、太一の口からその言葉が出るとそれが出来ない。
何か、普通の人間では到底考えもしない方法で、それを不可能ではないものにしてしまいそうな気がする。

「・・・克哉さん。怯えてる。」
小さな声で太一は言った。
まるで慰めるような声。

「冗談だよ。克哉さん、本気にしちゃった?
全く。冗談も通じないんだから。」
吹っ切るように笑う太一を見詰めながら、太一は嘘をつくのが下手だと思った。





■■■
 
蔵の中はいつも通り一切の音もなく、耳鳴りさえ愛しいと思う。
太一は朝出たきり、まだ戻らない。
庭に出て少し風に当たろうかと考えた。
その時、蔵の外から数人の気配を感じた。
ひとつは太一のもの。もう靴音だけでそれが太一だと分かるようになっていた。
あとは誰だ。初めてこの蔵に近付く音だ。
おもむろに襖が開く。先頭に太一がいた。そしてその後ろには見慣れない男が立っている。
初老の痩せた男。一見まるで覇気が無さそうだが、ふと感じる視線から圧倒的な鋭さが放たれている。
「入って。」
太一は男に声を掛けた。
「はい。」
男には無駄な動作がなく、静かに敷居を跨いだ。
「太一・・・その方は・・・?」
「ん?この人?うちの組の人間がお世話になってる彫り物師さん。」
「彫り物師って・・・もしかして刺青を入れる職人さん・・・?」
「そ。この人ね、こう見えてものすごくいい腕してんだー。龍とか大蛇とかもう芸術ってかんじ。」
「まさか太一・・・お前も刺青を入れるのか?」
恐る恐る尋ねる。
「そ!今からここでね。とっておきの入れて貰うんだー!」
「そんな・・・・やめろよ。刺青って、1度入れたら一生残るものなんだろ?
もし太一がこの生活を止めたいと思う時が来ても・・・・」
「ないね。」
言いかけた時、太一の鋭い声が遮った。
「この生活は終わらない。オレは一生ここで過ごす事を選んだ。克哉さんと一緒にね。
これは、その証。」
最後の一言、にっこりと笑顔を克哉に向けた。
そんな風に笑うな。
心の中で思う。
どうしてだろう。
克哉は、太一が笑うのを見る時が、一番辛いと感じるようになった。
「あ、お待たせしてすんません。それじゃお願いします。」
太一は男に向き直るとペコリと頭を下げる。
「はい。」
低く応えると男は手にしていた大きな鞄を床に置き、太一に敷き布団を敷くよう指示した。そんな様子を克哉は見守るしか出来ずにいた。
淡々と手順は整っていく。太一は言われるままに上半身の服を脱ぎ、布団の上にうつ伏せ横になる。

本当に太一は刺青を入れてしまうのか。本当にそんな事をしていいのだろうか。
そう思った時、男は突然克哉に近付くと片手で腕を掴んだ。
細い体から想像もつかない力に思わずはっと顔を上げ凝視する。
「すみませんが少しの間、あなたにはじっとして貰わなければなりません。
不自由かとは思いますがどうかこちらでお待ち下さい。」
掴んだ手の力を弛めないまま近くにある柱まで克哉を導く。
「あっ。」
いつの間に手にしていたのだろう。男のもう片方の手には麻紐が握られていた。
そして克哉を柱の前に立たせると後ろ手に手首を縛り、そのまま体と柱を縛り上げた。
「何をするんですかっ!」
思わず抵抗の声を上げる。
しかし男は克哉の声に動揺する風もなくチラリと目だけで克哉を見ると言った。
「あなたは、太一様に刺青を入れる行為を見れば、止めたくなるでしょう。
念の為の予防線です。どうかお許しを。」
「そんな・・・」
克哉は太一に視線を移した。太一は克哉に顔を背けるように寝そべっている。
二人の会話は勿論聞こえているであろうがそれに口を挟む事はなかった。
太一の決心は固いのだろう。ここでの暮らしで、太一が1度言い出した事を崩したことはなかった。
克哉の体から僅かに力が抜けたのを確認すると、男はゆっくりと手の力を緩め、克哉に向かって一礼すると太一の元へ向かった。
そして布団の傍らに膝を着くと
「それでは、予定通りのものでよろしいでしょうか。」と低い声で尋ねる。
「はい。」
こんなに素直な太一を久しぶりに見たな。

この期に及んで、変な所に感心してしまう自分の暢気さに辟易しながらも、克哉は心配そうに太一の姿を見詰めた。




「では、失礼致します。」

男は太一に向かって一礼すると、用意してあった脱脂綿で右腕に消毒を施す。
きつめの消毒液の匂いが克哉の鼻をついた。太一は身じろぎ一つしない。
そしてそれが終わると男は徐に鞄から針を取り出す。
克哉は思わず息を飲んだ。使い込まれ飴色に変色している木の柄の先には縫い針がある。
しかしその縫い針は一本ではなく数本が束ねられており、その形状は克哉の恐怖心を煽った。
あんな物で太一の身体に傷を付けるのか。やっぱり駄目だ。止めてくれ。
そう叫びたい。
だけど今叫んでしまえば、かえって男の手元を狂わせ兼ねない。そう考えると、ただ叫びを体内に押し留めるしかなかった。

ゆっくりと男の手元が太一に近付く。
肌に針先が触れる。
プツリと針先が腕の中に埋まる。
克哉はまるで静止画像のように目に焼き付いて離れなくなった。目を逸らせることも目を閉じることも出来ずに、目の前の光景をただ瞳に映していた。

「っく・・」
太一の喉から声が漏れる。
克哉に頭を向けて横になっているから、表情までは分からない。しかし克哉には太一がどんな顔をしているのか、はっきりと思い描けた。
実際刺青を彫る為の痛みがどれ程のものかは克哉にも想像出来ない。
かつて刺青は、その痛みに耐えた事の証と見なされたらしい。
『皮膚の薄い箇所や指先など神経の鋭い箇所への刺青はその分痛みを感じやすく、より「苦痛に耐えた者」の象徴になった』

そんな事をどこかで読んだ記憶があったが。今、太一が針を刺し込まれている右腕はどうなのだろう。身動き出来ない焦燥感の中、そんな事を考える。
少しでもそんな苦痛を太一に味合わせたくない。出来る事なら止めて欲しい。
なのにオレにはその権利も自由もない。

じりじりと時間が進んでいく。
男の手元は、まるで少しも動いていないように見える。それだけ長い時間を掛け、針を太一の腕に刺しているということだ。

オレがこうしている間も、太一には絶え間ない苦痛を感じている・・・・
なのにオレは、こんな風に間抜けに太一を見ているしかないなんて。
 
いっそ、オレの身体に刺青を入れることを望んで欲しかった。なんでそれをさせてくれない。
オレなら、どんな痛みだって受け入れるのに。
そう思った時、くっと太一の頭が僅かに動いた。
長い時間同じ首の向きで寝そべっていて疲れたのだろうか。ふと顔を克哉の方に向けた。
太一・・・・?
その顔を見た克哉は、思わず身体を強張らせた。
額から流れたのであろう汗で、太一の前髪は顔の皮膚にべったりと貼り付いている。
脂汗だ。
太一はじっとして、そんな様子をちっとも見せないけれど、実際は物凄い痛みを感じているんだ。

太一の視線は伏せたままで克哉と交わることはない。しかし、克哉は太一を見詰め、すぐさま太一に駆け寄りたい衝動を感じた。
「少し、休まれますか」
静かに男が太一に声を掛ける。
「いや、いいから続けて。」

まるで、克哉の存在すら忘れているような声で答える。
「しかし、この状態ですとお体に少々負担が掛かりますが。」
「いいから続けろ。」

太一の声色に只ならぬ切迫感を感じ、思わず克哉は声を掛けた。
「あの・・・負担と言うと・・・?」
男はゆっくりと克哉に振り返る。
「太一様のご希望で、通常の針入れより深く皮膚に針を入れておりますゆえ、その分痛みやお体への負担が大きくなるのです。」
「そんな・・・」


次の言葉が続かない。
どうしてそんなことを望むんだ。
一体何のために。
「太一・・・・・」
思わず呼び掛ける。
その声に太一の視線がゆっくりと上がり、克哉に辿り着いた。いつのも太一とは違う、力ない視線。
「もう止めないか・・・・」
「止めない。」
弱々しい笑顔に、克哉の胸が激しく痛む。

「なんか・・・・克哉さんってば・・・出産に立ち会ってる旦那さん・・・みたい・・・」
途切れ途切れの言葉を繋げる。
無理やり作った笑顔は、余計に太一の苦痛を際立たせるだけだった。
その顔から目を逸らさず克哉は考える。
もう太一はオレが何を言っても、この決心を曲げない事は分かっている。ならオレに出来ることは。
こうして苦痛に耐える太一から目を逸らさないこと。
太一の感じる痛みをこの身体に変えることが出来ないのなら。
オレはこの心に刻む。
 
克哉の表情を見届けると、男は再び太一に顔を直し「では続けます。」と静かに言った。
絶え間なく続く痛みは、人の意識を奪う事すらある。
それでも太一は決して意識を手放しはせず、時折「大丈夫だよ?」と言うように克哉に視線を投げ掛けた。それに返すように克哉も太一を見詰め、頷く。
少しづつ陽も傾き、男は蝋燭を燈す。時間はゆっくりながらも進み、針入れが済むと墨入れの作業へ移っていった。
太一の腕に彫られた傷に色が染み込んでいく。
少しずつ、刻まれたものが姿を現していく。
そして、その文字を読んだ時、克哉は自分でも止められない涙を流した。
 
「終わりました。」
男は言った。
「今日はワセリンを塗ってから包帯を巻き保護致します。数日経ちましたら処理に参ります。」
「あ・・・ありがとうございました。」
克哉は反射的に礼を言い、それを見て太一は笑った。

改めて思えば、太一も辛かっただろうがこの男も長時間この緻密な作業を続けるというのは精神的にも肉体的にも相当に疲労する筈だ。
男は克哉へ顔を向けると、初めて笑顔を向けた。顔に刻まれた深い皺が、はじめ見た印象とは違って男を好々爺に見せている。
太一への処理が終わると、ゆっくりと男は克哉に近付き、克哉を縛っていた縄を解いた。

「刺青と言うものは、人の生き血を呼び起こしながら、隠れた姿をそこに閉じ込めるものです。
そのお手伝いが出来るのは嬉しいことです。」

「・・・素敵なお仕事なんですね。」
克哉も自然に微笑んでいた。

「貴方にもしっかりと刻まれております。」
「はい。」

男が何を言わんとしているのか、克哉には分かる気がした。
「なーにー?二人で内緒話?」
緊張感の解けた太一の言葉が遮り、二人して太一に向き直る。
「本日はどうか安静にお過ごし下さい。」
少し悪戯そうに二人の顔を見比べながらそう言い残すと、男は二人を残し蔵を後にした。
 

■■■
 
 
蝋燭だけが燈る中、太一を膝枕しながら克哉は太一の髪を梳く。
太一には、一生消えない文字が刻まれている。
「どうしてそんな事を思い付いたんだ?」
穏やかに尋ねた。本当はもう、そんなことはどうでもよかった。
「んー?」
太一は寝ぼけた子供のような声で返す。
「なーんでだろーねー。」
「・・・全く。太一は。」
呆れるように言うと、ぽつりと太一は語り出した。

「・・・オレはさ、ただ、証が欲しかっただけ。
克哉さんとオレがいて、オレ達がずっと離れないっていう証。それが何かなんてほんとはどうでもよかった。

いつかオレ、お願いした事があったよね?」



「何・・・?」
「ん・・・克哉さんとオレの子供を産んで、って。
克哉さんとオレの子供が欲しいなぁって思ったのも、きっと、目に見える何か、
実体のある何かが欲しかっただけ。
でもさ、それは無理っしょ?」
ふと悪戯そうな顔で見上げる。
そして克哉の困った顔を確認し微笑むと、また言葉を続けた。
「だからね、これ。
これが、オレが克哉さんを離さないって証。
もしさ。この先オレの決心が揺らぐような事があっても、これがあったら踏み止まれる。」
愛おしそうに、腕に刻まれた文字を包帯の上から包む。
「・・・そんなことの為に・・・・・オレは、そんなものがなくったって、刺青なんかなくったって太一の傍から離れたりなんかしない。
ずっといつまでもこうして・・・・」
「うん。知ってる。」
満足げな笑顔で太一は応える。
「ならどうして・・・・」
「克哉さんのその顔が見たかったのかなー。」
ふーっと深呼吸のように息を吐き出しながら太一は天井を見上げた。
「オレを見て、困って、ためらって、泣きそうで、でもほんとは何だか強くって。・・・何かそれって悔しいじゃん?
だからね。
オレ、克哉さんを乱したいんだ。
身体だけじゃなくって、克哉さんの心の中も全部。」

「・・・・オレはいつだって太一に乱されてるよ。身体も、心も全部。
なのに・・・・
まだ足りないなんて。
太一はわがままな駄々っ子だ。」

「うん。そうだね。」

「そんな事のために・・・」
涙声になるのを止められなかった。


「克哉さん。泣いちゃった。」
でも、その声は安らかでしあわせそうで。
余計に胸が詰まった。
 
「ごめんね。克哉さん。」

そう言う太一の声も、泣いているようだと思った。
 
 
 
 

Fin.





このSSを../倒/虫/眼/鏡のtotoさんに捧げます。っつか押し付けます、ぐりぐり。

このSSを書く原動力になったtotoさんのイラストはこちらです。

この太一に打ちのめされたんです。


2008/5/23