触手
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【1】







カチリ、と小さな音が聞こえた。

耳の位置からはそう遠くはないだろう。それが今入ったであろう部屋の明りの、スイッチの音だという事は日常生活を普通に送っていれば目をさらしのような固い布で覆われたこの状況からでも容易に察しがついた。

布越しでも明りの変化位は分かる。

ここに連れてこられるまで、どの位歩いたのだろう。

長い直線を歩いた気がする。でも距離感は全くわからない。固く結ばれた手を取られたまま歩かされた。始めは恐る恐ると、いつ何かに衝突するのではないかという漠然とした不安を感じながらだったが、それも感覚が慣れてくれば恐怖心も薄れていた。


ドアが軋みながら開く音、足を踏み込ませた時に感じた足の裏から感じる質感の違いから部屋に入った事を感じた。

背中のすぐ後ろでドアが閉まる音と風圧。

目を塞ぐという行為はそれ以外の五感を敏感にさせるらしい。今僕はそれを身を持って感じている。

嗅覚。この感覚が一番それを感じさせた。いや、この位鼻につく匂いなら例え目を塞がれていなくても否が応でも意識せずにはいられないだろう。その位強く不自然な匂い。日常の生活にはない匂いだ。異国、というかオリエンタルな匂い、と言えばいいだろうか。

僕は海外に出掛けた事はないが、子供の頃、親戚のおじさんがバンコクに旅行した土産だ、と言ってくれた色鮮やかなリネンからした匂いを思い出させた。軽いカルチャーショックだった。何で、こんな何でもないような布きれから、こんな存在感のある匂いを発するんだろう。きっとこの国はこんな匂いで溢れているに違いない、そう思った。


異国だ。今、僕が足を踏み入れた場所はきっと異国なんだ。


聴覚。耳からの全ての音、僅かな音が視覚を通さず直接脳に届き、情報を処理している。目を覆った布が顔の皮膚を擦る音は空気を震わせる振動からではなく、体内からの振動で聞こえる。外部からの音は?

―――なかった。

人の気配。僕と僕をここに連れてきた人物以外にも誰かいる。それほど近い距離ではないだろう。でも、確かに僅かに気配を感じる。しかし不自然な程音がしない。むしろそれは意識的に息を殺し身じろぎせず音を立てぬようにしている空気を作り出していた。

触覚。こうして手を縛られ指先からの情報は得られない。

が。その分、空気に触れた肌の全てがそこから情報を得ようとしている。温度。匂いの次に強く感じたのは温度だった。いや、湿度と言うべきか。軽いサウナのような湿度を感じるのだ。じっとりとした肌に纏わりつくような空気。

そういえばうっすらと体から汗が滲んできている。

味覚は。

その時はまだなかった。





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