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【1】
吾郎は波に流されながら改札を出ると、人の多いエスカレーターを避けるように階段の前に立った。


今日も酷い暑さだった。
電車の中は冷房が効いて快適だったが、その分ドアが開き一歩外へ出た時、世界全体が蒸したようなこの外気に触れ、うんざりとした気持ちになる。


ノロノロと階段を下った。
視界の先には、庇がなくなったコンクリートの地面に、午後一番の直射日光がギラギラ照りつけている。


「車代くらい出せってんだ」
ネクタイを緩めながら嘯いた。


「フー」
階段をすっかり下り、前を見るとロータリーがある。
小さな植え込みの周りに沿うように道が流れ小さな島のようにぽっかりと浮いている。
その周りを白いガードレールが囲んでいた。
島を挟んで向かいの植え込みの近くには、こんな時間に来る客はほとんどいないのであろう、暇を持て余したようなタクシーが数台止まり、ドライバー達は仕事を放棄したように車外で談笑していた。
ガードレールの淵に寄り掛かり煙草をふかす者もいる。


――――お気楽なもんだ


吾郎はぼんやりそれを眺めた。
が。
その姿を目にした時、吾郎の中の時間が止まった。






陽が当たった白いシャツが目に眩しい。
陽炎が立ち上りユラユラと揺れる空気の中、そこだけが澄みきっているような気がした。
「佐藤寿也」はその中心で笑っていた。
幸せそうに。曇りのない顔で。




吾郎は立ち竦んだまま動けない。
真顔のまま、遠くに見えるその笑顔を見詰めていた.。



しかし。

「気にいらねぇな」
低く呟く。

吾郎の中で何かが蠢く。
ゆっくりと歩き出すと、ドライバー達の輪に近付いていった。



何笑ってんだよ。
何で俺の知らねー所で笑ってんだ。
お前はもう笑うなんて事、できねーだろ?


怒りのような、だがそれとも違う、何とも言い難い感情が覆った。

一歩ずつ足を進める間も佐藤寿也から視線を外さない。
ドライバー達は近付いた吾郎に気付いた。
皆が吾郎の顔を訝しげに見る。


「よお」




吾郎は一人のドライバーの前に立った。


「久し振りだな」


佐藤寿也は無言のまま吾郎を見詰め返した。

「あんた、この前の晩、俺のことノセてくれたよな?」
片方の口角を吊り上げながら下品に笑う。
「一晩に何人ものお客様を乗せるのでいちいち覚えていませんが」
淡々とした口調で表情も変えない。


「ヒュー」チンピラのように吾郎は小さく口笛をならした。
「随分モテルんだ、あんた」
一歩進むと顔をドライバーに近づける。


「でさ、今日もノセてくれるんだろ?」
下から、舐るような視線で問う。

「構いませんが」
ドライバーは怯まなかった。


吾郎から笑顔を消え、二人は無言のまま視線を合わせた。
只ならぬ二人の雰囲気に周りのドライバー達は息を飲んだ。


こんな表情で話す寿也を誰もこれまで見た事がなかったのだ。



「じゃ行くか」
ふいと顔を背け、吾郎は視線を逸らした。
輪に背を向け歩き出そうとした吾郎とドライバーの後ろから声が追う。


「おい、とし!大丈夫なのか?
そいつ、ちょっとオカシイぞ?」


心配そうな表情で小太りの男が引きとめた。
「あぁ心配ないよ、倉本。大丈夫だから」


ドライバーは倉本と呼んだ人物に顔を向けると、さっきまでの曇りのない笑顔に戻り答えた。


その様子を吾郎は黙って見詰める。

自分の中に眠るこの気持ちが何なのか吾郎には分からなかった。








「あんた、『とし』って呼ばれてるんだ」


車に乗り込んだ吾郎は表情を一変させ、明るげな口調で体を乗り出し運転席の座席後ろに腕をつく。


授業中に悪ふざけをする子供のようだ。


ドライバーはそれには答えず前方を見たまま「どちらまで」と短く言った。


「冷てーなぁ『としくん』。なに?あんた、あいつともデキてんの?」


ミラーに映ったドライバーの視線が動き吾郎を捕らえた。

吾郎は大仰に肩を竦めると「そうだな、今日はベッドの上でやりてーなー」
大きく息を吐きながら暢気な声を出した。「あんたも昼間っから車ん中じゃキツイだろ?」


僅かにドライバーの周囲の空気が強張ったように感じた。
「ホテル、連れてってくんない?」




性質の悪い子供は、上目遣いに企むような顔で笑った。






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