taxiV
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【1】




窓に面したカウンター席に座った吾郎は、歩く人並みをぼんやりと眺めていた。
こうして窓辺にいても日差しはもう入ってこない。
大抵昼はこうして適当な店に入り、適当に済ませる。
今日は午前中の得意先に足止めをくらい、2時過ぎという昼にしては遅い時間に店に入った。
小さな店内の人はまばらだ。
その時ポケットの中で鳴る携帯メールの着信音に気付いた。
取り出し携帯を開くと、ディスプレーには『佐藤寿也』の文字が浮かんでいる。


――――あぁ、寿からか

そのままメールを開くと『今日は明け番。そっちは時間ある?』短い文章が書かれていた。

少しの間、思考を巡らせる。

――――午後、これから回んねーといけないとこが2件か・・・・・
適当に片付けりゃ何とか出来ねーこともないな

『早めに切り上げる。終わったら連絡する』

頭の中で段取りをつけるとすぐに返信し、上着を手にして席を立った。






淡々と行われるこのやり取りも、吾郎が既にこの関係に慣れていた証拠だろう。
勿論始めは抵抗があった。
強姦した相手に自分の連絡先を教える。
普通の思考回路とは思えない。
寿也が自分の名前を尋ね、その後、当たり前の流れのように携帯番号やアドレスを教えて欲しいと言われた時は呆気に取られた。
出る所に出て、法的な手段に訴える。と言われてしまえばこちらとしては逃げようがない。
いや、2回目に関しては一応合意の上の事と言っていいだろうから、民事裁判でも負ける事はない筈だが。
ましてや、事は男同士だ。
そんな事が周囲に知れる事にでもなったら損をする事はあっても得など1つもないだろう。

とにかくどんな理由にせよ自分との関係を続ける事が寿也にとってメリットがあるとは思えない。
一体何が目的なのか。

「なに?吾郎君でもそんな事気にするんだ?」

「なんだと」

軽く睨んだがそんな事は全く気に留める様子もなく寿也は相変わらず吾郎を見て微笑んでいる。

「あのね、さっきも言ったと思うけど僕はあの夜から君が忘れられなかった。それだけだよ?」

「そんな事ある訳ねーだろ、そんな戯言信じる程ばかじゃねーよ、
大体、今日だって偶然会っただけじゃねーか、それも俺が声掛けなけりゃそれまでだ」


「だから、君だって僕の事が忘れられなかったんだろ?僕と同じじゃないか。
君の言っていることと僕の言っていること、何が違うって言うんだい?」


――――確かに俺から近付いた。それは紛れもない事実だ

そう考えると、次の言葉が続かない。
少し呆れた表情をして、それでも目は細めたまま寿也は言った。

「こういうの、運命の出会いって言うんだよ?
君が血迷ったのも、今日また出会えたもの」


寿也の声は生暖かく吾郎を包むようだ。
和らいだ空気と共に再び寿也が近付く。


唇を合わせた吾郎はそれに流されるように目を閉じていた。



□□□


「あっ、吾郎くん!」


吾郎が店内に入るともう寿也がいて吾郎の姿を見ると、軽く左手を挙げた。
寿也はテーブルで一人、『スイーツ』なるものを目の前に置き笑顔を見せている。





――――またかよ

一瞬思ったが、口には出さないでいた。
寿也が待ち合わせに指定する店はいつもこんな店ばかりだ。
小洒落たカフェと言うのだろう。
周りを見渡してもほとんど、いや、カップル意外は全員女性だった。


何度も繰り返した不毛な会話。

「お前、男のくせにこんなとこでそんなモンばっか食ってんじゃねーよ」

「いいじゃないか、別に男が甘いもの好きだって」


いい加減吾郎も学習した。
いくら自分が口にしたいと思えないような甘ったるいクリームでも、それで寿也の機嫌がいいのなら仕方がない。
と、ここまで吾郎が自粛していると言うのに。

毎回吾郎が断るのにも関わらず「吾郎くん、ちょっと味見してみる?」と目の前にスプーンを差し出してくる。
何が楽しくて男同士、デザートを分け合わなくてはならないのか。

「いらねーよ」ため息をつきながらいつもと同じ答えを返す。

「あ、そう。これは割りと甘さを控えてるから吾郎くんでもイケルと思ったんだけどな」

「控えてるってったって、気持ちわりー位そん中には砂糖が入ってんだよ」

「へー結構詳しいんだ。お母さんの手作りのおやつとか食べて育った?」

ニコニコと人懐こい笑顔のまま吾郎を見る。

「そんなんじゃねぇ」

ぶっきらぼうに答えたが、一瞬桃子の後姿が頭に浮かんだ。
甘ったるい匂いまで鼻に付く気がした。

「しかしお前、よくこんな店、入ろうと思うな」
打ち消すように話題を変える。

「え?そう?女性のお客さんを乗せるとね、色々情報が入ってくるんだよ。
流行のお店とか美味しいものとか。そういう直接の口コミはやっぱりハズレが少ないよね」

寿也は視線をスフレに移し、スプーンを口に運ぶ。
吾郎はそれを眺めながら、相変わらず美味そうに食うな、と思う。

始めは意外だったのだ。その様子が。
寿也は吾郎が考えていたよりもずっとおしゃべりで、コロコロと表情を変える。
よく笑いもしたし冗談も言った。時には客の愚痴だって口にする。


「――――でさ、そのおやじがさ・・・・って吾郎くん、人の話、聞いてる?」

余りに意外で放心していたため、そんな言葉もよく掛けられたが。
今ではそれにも慣れた。
しかし、未だにどうしても慣れきらないこと。
それは、こうして名前を呼ばれることだ。
今まで名前に君付けという呼び方で呼んだ人物などいなかった。

『本田くん』『本田』『茂野くん』『茂野』『吾郎』―――

幼い頃も、こうして社会人になってからは尚のこと。

ぶっきらぼうで感情を表に出さない吾郎に、そんな親しみを込めた呼び方は似合わない。

それを当たり前のように寿也は「吾郎くん」と呼ぶ。その中に、どこか甘い響きを含んで。
吾郎は寿也にその名前を呼ばれる度、まるでぬるま湯の中を泳いでいるような錯覚がした。

肌に纏わり付く柔らかな温度。
心地良さと不快さは紙一重だ。

―――俺はこのぬるま湯の中を泳がされているのか


そう思いながらも吾郎は、どっぷりとその中に浸っていた。




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