taxiV
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【5】
一時の昂ぶりも、熱が冷めてしまえば後に残るのは茶番を演じたような気まずさだ。
二人は視線を合わせられない。
自分が今口走ったばかりの言葉を持て余すように押し黙まり、身体を離した後も背を向けたまま上着を羽織った。
吾郎は俯いたままシャツのボタンを留めていく。
二人は相変わらず無言のままタクシーに乗り込んだ。
日はあっという間に落ちていく。
辺りはもう夕闇が包もうとしていた。
吾郎は考える。
この車に乗るのは今日で3回目・・・・回数にするとこんなにも少ない。
吸い込まれるように初めてこの車に乗った夜。
この密室の中、有無も言わさず見ず知らずだった男を抱いた日。
そして再び出会った眩しい夏の真昼。
俺の中に燻っていた思い。
そして今日。
俺が自らこの車を呼び自分の気持ちに気付き、そして同時に別れの日になる今日。
俺は自分でも気付かないうち、いつの間にか甘い夢でも見ていたのかもしれない。
いつか寿也が言ったように。
本当に。
本当に俺達の出会いは運命だったのだと。
――――――俺は自分で思うよりもずっと大バカだったな
そう思っても、吾郎には自嘲する気力も起きなかった。
きっと寿也が連絡してくることはもうないだろう。
これが最後だ。
自分の本当の気持ちに気付いてしまった以上。そして寿也の本当の気持ちが分かってしまった以上。
俺達はもう、この関係を続けて行く事は出来ない。
――――――終わったんだ
そう思った時、空虚な喪失感が吾郎を覆った。
おかさんが死んだ幼い時の事はよく覚えていない。だが茂治が吾郎に遺志を託して死んでいった時に、やはりよく似た喪失感を感じた。
しかしそれは抗う事の出来ない人知を超えた出来事だった。
だけど、今。
こうして味わう喪失は、自らが引き寄せ、犯した罪の結果だ。
これは俺が選択した末路だ。
目的地を告げなくてもタクシーは走り出す。吾郎はそれに身を任せた。
もう何も語ろうとしない寿也の後姿。
この密室の中、こんなにも遠く感じる。
ほんの僅かな時間前までこの肩に触れ、髪を掴み、唇を合わせていたと言うのに。
タクシーは元来た場所で車を停めた。
「じゃぁな」
タクシーを出る時、一言だけ吾郎は寿也に声を掛けた。寿也は振り向かない。
吾郎が車を出るとバタンと音を立てドアが閉まった。
まるでそれは寿也の気持ちのように感じられた。
これが最後の音。
吾郎は閉まったドアを見詰める。
低いエンジンの音。
車は再び走り出し二人の距離は徐々に離れていく。
これが最後の時間。二度と近付く事はないだろう。
吾郎はその場で遠くなっていくタクシーをいつまでも見ていた。
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営業一課は何事もないように日常の業務をこなしていく。
吾郎も慌しい日々に流されるように毎日を過ごした。
プライベートを仕事に持ち込むような奴は弱い人間だ、というプライドもどこかにある。
「茂野さん、ちょっと雰囲気が変わったよね」そんな話題が女子社員の中で囁かれていた。
「そうそう、最近は結構仕事もするようになったし。
もともと何気にイイ男なんだしさ、なんてったって玉の輿だよー、どうする、狙っちゃう?」
「えー、ちょっとそれ本気?」
そんな屈託のない女子社員達の様子を、美保は心許ない表情で見ていた。
それまでの吾郎は投げやりな態度のせいで、営業一課との些細ないざこざは日常茶飯事だった。
小さな有限会社を経営していた本田茂治が若くして病死した後、数年後桃子は英毅と再婚した。
まだ小学生だった吾郎は英毅を慕ってはいたが、父茂治が残した会社はいつか自分が継ぐのだと固く心に決めていた。
そして茂治の人望の厚さから、小さいながらも存続してきた本田の会社に吾郎は大学卒業とともに入社したのだ。
吾郎は夢みていた。自分がこの会社を大きくしてみせる。おとさんの残してくれたこの会社を守っていく。
その為の努力も工夫もした筈だった。自分の時間など惜しまない程情熱を注いだ。
しかし。現実はそう甘くはない。
負債は増える一方だった。
見兼ねた英毅が再三に渡って融資を申し出たが吾郎のプライドはそれを拒否した。
結果。残された道は英毅の会社との合併しか残っていなかった。
実際は合併という名の救済だったが。
営業業務の要と言えるこの部署で、いきない他所から来た者が、まして何の実績もなく茂野の義理の息子と言うだけでここに来た者に対する風当たりは強かった。
「茂野、今日は俺と一緒に回れ」
その声にコートを手にし、社を出ようとしていた吾郎が振り返る。
同じ営業一課の眉村だった。
「あ、お前と?なんでだよ、今まで一緒に外回りなんかした事なかったじゃないか」
「いいから来い」
「ちぇ、なんだよあいつ」
軽く不貞腐れながらも、吾郎は慌てて眉村の後に続いた。
「うぅ、寒ぃ」
外の空気はもうすっかり冬の寒さで、吾郎は首を竦めコートのポケットに手を入れる。
そんな様子を横目でチラリと見たが眉村は何も言わなかった。
取引先の会社での眉村は無骨な程実直で、吾郎はなぜこんな笑顔のない眉村の営業スタイルで課内1の営業成果を誇るのか不思議だったが、3件目を回り終える頃には何となく理解出来た。
眉村を前に、始めは身構えたような取引相手が、いつの間に熱心に眉村の言葉に耳を傾けている。
この男なら信頼出来る、そう相手を納得させる静かな自信が感じられた。
「眉村。あんた、すげーな」
社に戻る道すがら吾郎は話し掛ける。
同じ年ということもあってか、吾郎はどこか人懐こい表情を眉村に向けていた。
「別に特別な事をしている訳ではない」
「まーそうだけどよ、だから逆にすげーっていうか」
「奇をてらったり、相手に迎合する事は俺には出来ない。ただそれだけだ」
「ふーん。自信があんだな」
その言葉にチラリと吾郎を見ると小さく呟いた。
「負け犬の台詞だな」
「なんだと」
その言葉に吾郎の表情が一変した。
「お前、それ、誰に向かって言ってんだ、俺か?俺が負け犬だって言うのか?」
「違うのか」
余りに冷静な眉村の物言いに吾郎の神経は逆上した。思わず眉村の真正面に立ち、胸倉を掴みそうな勢いで近付いた。
しかし、きりきりと歯を食い縛りこうして眉村を睨みつけても一向に眉村は怯まない。
「どういう意味で言ってんだ。場合によっちゃ容赦しねーぜ」
「お前がうちの課に入ってからまともな仕事した事があったか」
「そりゃ最初のうちゃ俺も大人げなかったってか、あんた等もえんらい冷たかったしヤル気も何もなかったけどよ・・・・でも今はここで俺なりにやってんじゃねーかっ!」
「俺なり、か。負け犬らしい言い訳だ。負ける奴はいつでもそう言う。
『俺なりにやった、でも駄目だった』・・・・俺はそんなものは認めない」
「そんな事言ったって、自分だけの力じゃどうしようもなんねー時だってあんだよっ、何をやったってどうにもなんねー事がよ・・・・・俺だって負けたくて負けた訳じゃない」
――――――あぁそうだ。俺は負けたんだ
吾郎は眉村から視線を外した。
もうこの事は忘れようとしていた。
過去は過去だ。今更思い出しても何もなりやしない。もうどうしようもない事なんだ。
「元から自分に自信にある者などいない、俺だってそうだ。
でも、それでも自分に出来る事をしたいと思う。
お前が出来る事は本当にもう終わったのか」
「どういう意味だよ」
その言葉に眉村は鞄の中から書類を取り出し吾郎に手渡した。
「これって・・・・」
「本田と取引のあった会社のリストだ。もう残っていない社もあるだろう。どうするのかはお前の自由だ」
そう言うと眉村は吾郎に背を向け歩き出した。
「あいつ、こんな事まで・・・・」
外気は相変わらず冷たいが、吾郎の胸は熱くなっていた。
「ありがとな」
小さく呟きその書類に目を落とす。しかし。
「あ・・・」
その中のひとつの社名に吾郎は胸騒ぎを感じた。
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