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【4】
「―――――中で出すぜ?」
吾郎は声を搾り出す。
本当はそんな事を問わずに吐き出してしまいたい程、寸前だった。
ドライバーを見下ろす。
「はぁ・・・・ぁあ・・・・はぁ・・」
意識があるのかないのか。
荒い息は絶え間なく繰り返されているが。
この体内に液体を放出してしまえばどんな事になるのか吾郎には検討が付かなかったが、取り合えず孕ませる事だけはないだろう、と滾った意識の中で考える。
それでもその瞬間。
「ぅぐっ・・・ぁあっ・・・・」
体内の熱が全て一点に集まったような激しい感覚を吐き出す時。
吾郎は、そこから身体を剥がした。
二人はまだ、荒い呼吸が収まらない。
吾郎は肩で息をしながら、ぐったりと体を投げ出すドライバーを見下ろした。
揉みくちゃに乱れくっきりと皺をつけた白いシャツ、無造作で中途半端に降ろされたスラックス。
そしてそれらに包まれた、濁ったものを被った身体。
それは、尊厳を踏み躙られた人間の姿だった。
我ながら酷い有様だと思った。
俺だ。
俺がこいつを汚した。
間違った欲望の結果を確認するように眺める。
でもどうしてこいつだった?
見ず知らずの「男」に欲情し、踏み込み、踏み躙り。
いくら自分が酷い人間だからといってもここまで人を犯すことはなかったはずだ。
―――――今更そんな事どうでもいいじゃないか
自分の中に芽生えた僅かな自責の念を振り払った。
「今日に限ってもらってて良かったぜ」
のろのろと吾郎は動き出す。
ポケットを弄りティッシュを取り出すと、ドライバーに付着した体液を拭った。
事の後の間抜けさに吾郎は自嘲する。
「結局やるこたオンナと変わんねーのな」
荒んだ言葉だけは容易に続けられた。
「あんた、イケなかっただろ。
どうする、俺がやってやろうか?」
品のない笑顔を浮かべながら、ドライバーの性器に手を触れようとした時
「触るな」
低い声が吾郎の動きを止めた。
その声に圧倒的な威圧感を感じ、ゆらゆらと視線を上げる。
ドライバーの双眼が吾郎を捕らえていた。
その眼の色に吾郎は身動きが取れなくなる。
一瞬、恐怖すら感じた。
得体が知れない生き物のように思えたのだ。
その瞳の色は、怒りでもない、敵意でもない、まして悲哀でもない。
ただ酷く透明だった。
拒絶された事も吾郎にとって意外だった。
「俺の手によって完全に壊された」男にそんな力は残っていない筈だった。
予想を裏切るドライバーの反応に吾郎は声を詰まらせる。しかし。
「下らねぇ」
小さく吐き捨てるとドライバーから体を退けた。
汗で張り付いた襟元に手をやり、シャツの乱れを整える。
「あぁ、車、ここまででいいぜ。
あんたもこれ以上俺とドライブする気にもなれねぇだろ。
その代わり、もう一台呼んでくれよ?
ここがどこかも知らねぇし」
せわしなく手を動かし身を整えながら告げる。
何でもない事のように振舞うことが、動揺から逃げる唯一の方法だった。
吾郎の動きを確認すると、ドライバーはゆっくりとリクライニングを引き上げ上体を起こす。
ノロノロとスラックスを上げ、ベルトを締め始めた。
吾郎は無言でその姿を視界に入れながらすっかり身支度を整えると、札を置いた。
「釣りはいらねぇよ」
ドアを開け、外に出る。
まだ蒸し返るような湿度に嫌気がさした。
大きく息を吐き出す。
もう大通りを走る車の音もまばらに遠く聞こえる。
ここだけが隔離された世界のような気がした。
車内では僅かな雑音の後、無線で車を呼ぶ声がしている。
「じゃあな」
ドライバーの後姿を最後に一度見ると、吾郎はドアを閉めた。
タクシーを後ろに歩き出す。
―――もう二度と会うこともねぇ
空虚さもやるせなさもいつもと同じだ。
もうそんな事だって慣れっこだ・・・・・・・・
舗道には吾郎の靴音だけが響いていた。
ドライバー一人残された車内の中。
バックミラーには寿也の眼が写る。
ミラー越し、ゆっくりと遠くなっていく後姿をじっと見詰めていた。
「茂野・・・・・吾郎」
そう呟いた時、その眼光が鋭く光った。
吾郎は大通りに出て立ち止まると、程なくして一台のタクシーがハザードランプを点滅させ吾郎の横に着けた。
ドライバーは中年の男だった。
事務的に自宅近くを告げる。
どっさりと深く椅子に座わると吾郎は目を閉じた。
しばらく何も考えずに眠りたかった。
□□□
「吾郎、こんな時間までどこに行っていたんだ」
玄関の鍵を開け、扉を開くといきなりその声に迎えられた。英毅だった。
英毅は 一人玄関の正面に立ち、吾郎を見下ろしている。
明かりが漏れた家を見た時から吾郎は憂鬱だった。
「ガキじゃあるまいしいいだろ。
大体、起きて待ってるなんて方がいい迷惑なんだよ」靴を脱ぎ捨てながら答える。
「親が息子の帰りを待って何が悪い」
「そうやって、取って付けたみてぇに父親面すんな」
吾郎は英毅の前に立ち塞がった。じりじりと二人の距離は近づく。
「別に俺を拒否するのは構わない、そう簡単に他人をおやじだなんて認められないだろう。
それに――――本田の会社の事も。
奴が必死で守ってきた大切な会社だって事は知っている。
本田が死んだ後、お前がそれを引き継ごうと奔走していた事だって
だが、仕方なかった・・・・・こうするしか
こうする事が会社の為にもお前の為にも一番・・・・・」
「あぁ、体良く吸収合併できたな。
おとさんの会社はきれいさっぱり跡形もなく消えちまった」
「すまなかったと思っている・・・・・・」英毅の声は消え入りそうだった。
「今更何を言っても何も変わらないんだよ」
吾郎は英毅の横をすり抜ける。
英毅は俯き、唇を噛み締めていた。
「もう全て終わった事なんだよ――――何もかもな」
そうだ。
何もかも済んだ事だった。
もう、全ての事が、俺とは関係ない所で回っていく。
→「taxiU」
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