萌芽
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「今日で包帯も取れそうなんだ」

そう言うと茂ちゃんは目の前でにっこりと笑った。
「そうなんだ!これでようやくまたチームの練習に戻れるんだね!」

「うん!」
僕は嬉しさの余り立ち上がろうとしたけど、すぐに全身の力が抜けたように動けなくなってしまった。


リトルの練習の後、僕はこうして茂ちゃんの家にお見舞いに訪れるのを習慣にしていた。
外はもう夕暮れを通り越し、紫色に変わっている。
茂ちゃんの部屋で二人して絨毯の上に座ると、ジュースを飲みながらその日の練習内容や出来事を茂ちゃんに話す。
僕の話を、茂ちゃんはいつもニコニコと聞いてくれた。

本当は茂ちゃんのこの姿を見る度、ずっと息苦しさを感じていた。
もちろん茂ちゃんにはそんな気持ちは毛頭ないのだろうけど、大仰に包帯を巻かれ吊るされた痛々しい姿を見る度に、自分を責める事しか出来なかった。
そんな素振りをすると余計茂ちゃんに心配を掛ける事になるのは分かっていたから、自分の中に押し留めていたけど。

――――本当に辛いのは茂ちゃんの方なんだ・・・
だから、僕は茂ちゃんの姿から目を逸らしちゃいけないんだ

こんな事が修ちゃんを救う事にならない。
だけどそれは、僕が自分に決めた自分なりの罪の償いだった。

「よかった・・・・本当によかった・・・・
もし茂ちゃんの手がこのまま治らなかったらどうしようかって・・・・
野球が出来なくなったらどうしようかって・・・・・ずっと・・・・・・」


隠していた本当の気持ちが思わず溢れ出す。
ずっと保ち続けてきた緊張がふと解け安堵が包み、隠してきた思いが言葉になってしまった。
薄っすらと目に涙が浮かぶ。
そんな自分が気恥ずかしくなり、僕はゴシゴシと袖で涙を拭った。


「修ちゃん・・・・」


まずい。
茂ちゃんのこんな声を聞くとたまらなくなる。
優しいような、あったかいような、なぐさめるような、ちょっと憐れんでいるような。
そんな色んな気持ちが混ざってて、それが何だか心地よくて。



「ありがとう、修ちゃん・・・・本当は辛かったんだよね――――修ちゃんが1番」
「違うよっ、僕なんかより茂ちゃんのほうがずっと痛くて辛くてっ!だから僕はっ!」

思わず顔を上げ叫んだ。

鼻がツンとして、ちょっと鼻水が出そうでカッコ悪かったけどそんな事はもうどうでもよかった。
そんな形振り構わない僕を見て、茂ちゃんはちょっと笑った。


「でももう本当に大丈夫だから。
・・・だからね、僕の手が治った記念に修ちゃんにこの包帯を取って欲しいんだ」

「えっ?」

そう言うと茂ちゃんはちょっと恥ずかしそうに微笑みながら目の前に腕を差し出しす。
白い包帯の巻かれた腕。
涙で滲んだその腕は、何だかやけに眩しく見える。
なんだか、茂ちゃんに似ているな・・・・
ふと頭に浮かんだ考えに、自分でも少し驚いた。

「うん」
そう頷くと、鼻を擦りながら僕もにっこりと笑った。





静かに包帯の上から手を触れる。
こうして怪我をしてから、一度も触れた事はなかった。
いや。それまでだってこんな風に茂ちゃんに触れた事もなかったけど。
本当にこの中に包まれた腕は元通りになっているのだろうか。
ちょっと怖い気もした。

小さな包帯留めの針を外し、ゆっくりと包帯の先端をつまむ。
くるっと一周させる。
短く包帯が腕から外れる。

僕は丁寧に包帯を外していった。
大事な大事な茂ちゃんの腕。
僕が壊してしまった――――でもこの中でゆっくりと時間を掛け再生していった。



茂ちゃんはじっと僕の手元を見詰めている。
僕も黙ったまま、ただ包帯を解く。
無言の時間。
布の擦れる音だけがしている。
なんだかそれは、僕にはとっても神聖な儀式みたいに思えた。


ゆっくりと白い布は伸びながら落ちていき、少しずつ中から肌色が現れていく。
僕はいつの間にか、包帯を巻いた茂ちゃんの姿を見慣れてきてしまっていた。
まるで包帯が身体の一部になってしまったかのように。
だから何だか不思議な感じがする。
長い間、隠されていた肌は白くふやけ妙に生々しい。


一周解く度に肌はその面積を広げ、とうとうその腕はすっかり姿を現した。
無言のまま顔を見合わせる。
僕らは静かに微笑んでいた。
茂ちゃんはもう片方の手でそっとその腕に触れた。
愛おしそうに、安らかな顔で。
そして、しばらく腕の感触を確かめるように曲げたり伸ばしたりした。
僕はそれを眺めながら心から安心する。
茂ちゃんは、ちゃんと腕を取り戻せた。
僕の作った傷から解放されたんだ。
そう思った。その時。
茂ちゃんは僕の手を掴むと、腕に導いた。
小さくドクン、と心臓がはねる。
指先に感じる露になった肌は柔らかい。



「ほら、もう何ともないよ。すっかり元に戻ってる」
「うん」

とっても嬉しかった。

もうこれで、茂ちゃんも元の通り野球が出来る。

僕が感じていた罪も消える。


でもどうしてだろう。

その時、急に寂しくなったのは。

思いも寄らなかった気持ちを感じながら、腕を見詰めた。

その時。







「でも・・・ちょっと寂しいかも――――」


「これで、修ちゃんは僕から解放されたね」